Author: 円道秀和

いつも時代もそこにある。飾らないゆえに愛おしい「ケメックス」

いつも時代もそこにある。飾らないゆえに愛おしい「ケメックス」

「家ではずっとケメックス(CHEMEX)を使ってるよ」 アメリカ人の彼は、そうこっそりと教えてくれた。普段はコーヒーショップチェーンで多くのバリスタを指導する先生だ。指導時に使うのは、広く普及している小さな穴のあいた一般的なドリッパー。しかし世界中のコーヒーを知り尽くした彼が自分や家族のために使っているものはケメックスなのだという。 「なにせ使い慣れてるからね、あれは」 そう微笑む彼が愛用するケメックスは、1941年に誕生した科学の実験道具のようなシンプルなコーヒーメーカーだ。 「日用品をより機能的、魅力的で、使うのが楽しいものにする」ことを常に意識していた化学者ピーター・シュラムボーム博士が、完璧なコーヒーを簡単に淹れられるだけでなく容器も美しいものにしたいと考え作ったもの、それがケメックスだ。 もちろん着想は実験器具から得られている。そこに、博士のルーツであるドイツの“バウハウスデザイン”がエッセンスとして加わり生まれたカタチは、とにかくシンプル。誕生時から今も変わらぬ普遍性のあるデザインは、アートやデザインの世界でも認められ、1943年にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品となっている。 これ以上、引き算のしようがないこのコーヒーメーカーは、抽出もいたってシンプルだ。 正方形のペーパーを4つ折りにし、開いてのせ、そこにコーヒー豆を挽いた粉を入れる。あとは他のドリッパーと同様に、蒸らした後、ゆっくりと円を描くようにお湯を注いでいく。 中央の凹んだ部分に付けられた木も、抽出したコーヒーをカップに注ぐ際に直接持つと熱いため。サーバー一体型だからこそ、注ぎやすいようにドリッパーである上部には通り道が作られている。余計な装飾は一切なく、ただコーヒーを手軽に淹れるためだけに考えられたデザインは、今でも色褪せない魅力を放っている。 そして、使う人を魅了する理由は、その味わいにもあるのかもしれない。広く使われているドリッパーには、内側に抽出したコーヒーが伝うリブが付けられている。これにより安定した味わいのコーヒーを淹れられるようになっているのだが、ケメックスのドリッパー部には何もない。 だから、ゆっくり淹れるとドッシリとした味わいに、サッと淹れるとアッサリとした味わいにとコーヒーが変化する。円錐型のドリッパーは概ねこの手の傾向にあるが、リブがなく抽出口が大きいケメックスはそれがより顕著に現れる。 コーヒー豆の種類ではなく、惹き目の粗さや細かさでもなく、淹れる人のさじ加減ひとつで味わいが大きく変わる。もちろん思うようにコントロールするにはそれなりの技術が必要だが、それも楽しみのひとつ。コーヒーを知れば知るほどケメックスを使ってしまうのは、そんなところにもあるのかもしれない。 シンプルで置いておいても画になるデザインと、自分好みの味わいにコントロールできる奥深さ。きっとこれから先も「結局、いつも使うのってケメックスなんだよね」という存在であり続けるマスターピースだ。 円道秀和

ペーパードリップはメリタ「コーヒーフィルター」から始まった

ペーパードリップはメリタ「コーヒーフィルター」から始まった

コーヒーサーバーやマグカップの上に置き、紙のフィルターをのせて挽いた粉を入れる。そしてお湯を注いで、ゆっくりコーヒーを抽出する。ドリップコーヒーに欠かせないもの、それが“ドリッパー”だ。 世界的に見てもドリップコーヒー大国である日本。欧米ではエスプレッソが主流だが、日本では長くレギュラーコーヒーと呼ばれるドリップしたコーヒーが親しまれている。そしてドリップ時に使う器具として現在広く使われているのが、ペーパーフィルターを使うドリッパーだ。 ドリッパーは大きく分けると台形型と円錐型のふたつになるが、歴史があるのは台形型。その原型となるのが、1908年にドイツで誕生したものだ。ドイツ・ドレスデンに住む主婦、アマリー・アウグスト・メリタ・ベンツが「もっと手軽においしいコーヒーを夫に飲ませてあげたい」という想いから、小さな穴をあけた真鍮製の容器にろ紙とコーヒー粉をのせ、お湯を注ぐ方式を生み出した。 この方式は、それまでの布や金網で抽出したときのように粉が入ってしまうことがなく、後片付けも簡単。さらにろ紙が雑味を吸うことで、おいしさも向上した。これが現在も使われているペーパードリップの始まりとなる。 彼女が設立したメリタ社はその後、息子のホルスト・ベンツに引き継がれ、フィルター(メリタではドリッパーのことを“フィルター”と呼ぶ)もさらに改良。そして1937年に、現在のような溝がついた形状で特許を取得する。 メリタのフィルターを見ると、底にある抽出口は1つだけだが、当初は8つも開いていたという。しかし味に満足できなかったホルストは改良を重ね、1960年に現在と同じカタチの1つ穴フィルターに行き着く。 ドリッパーは、傾斜角度、溝の数や形状、穴の数や大きさの違いで、抽出するコーヒーの味わいが変わってくる。メリタは台形型で1つ穴だが、同じ台形型でもカリタは3つ穴。そしてハリオのV60やコーノの名門ドリッパーは穴が大きい円錐型だが溝の形状が異なる。どれもペーパーフィルターを使って抽出するという点では同じだが、それぞれ異なるアプローチで作られている。しかしどれもペーパーフィルター方式であり、メリタの“コーヒーフィルター”から派生したものなのだ。 メリタの特徴は、なんといっても安定した抽出ができることだ。蒸らしのあとは、抽出したい量を一気に注ぎ、あとは落ちるのを待つだけ。ドリップ初心者でも常に同じ味わいのコーヒーを淹れられる。抽出口が小さく1つだけなのでお湯抜けが遅く、お湯とコーヒー粉が長時間接するため、どっしりとした味わいになる。 100年以上前に最愛の夫のためにと生まれたペーパードリップ方式は、今も多くの人に愛用されている。誰が淹れても安定したおいしいコーヒーを淹れられる。これこそまさに、メリタ・ベンツの想いが時を超え、愛され続けている理由なのかもしれない。 円道秀和

「エスプレッソの源流”ビアレッティ”で味わうヨーロピアンコーヒースタイル」

「エスプレッソの源流”ビアレッティ”で味わうヨーロピアンコーヒースタイル」

イタリアに行ったなら、ホテルで朝食を取る前に散歩に出かけたほうがいい。街をぶらぶらしていると、多くの人でにぎわう店が必ず見つかる。BAR(バール)だ。

みな、カウンターで立ったまま朝食を取っている。訪れる人はまず店員に「Caffè」とひと言。そして横にあるブリオッシュやコルネットなどの甘いパンをひとつ取り会計を済ませたら朝のコーヒータイムだ。近所の人だろうか、知り合いを見つけて話し出す人もいる。

せっかくだから同じようにしてみた。店員と目が合い「Caffè」と注文。すると出てきたのは、見るからにクリーミーなカプチーノだった。ブリオッシュをひとつ取り支払うと、空いている場所へ移動する。隣でスマホを手にカプチーノを飲んでいた男性に英語で話しかけてみた。「Caffèと言うとこれ(カプチーノ)が出てきたんだけど」。すると彼は、なに言ってるんだこいつ、といった表情で「もちろん」と答えた。

「朝はカプチーノさ。午後はエスプレッソだけどね」

「どうしてカプチーノなの?」

「さぁ…。昔からみんな朝はカプチーノだね。でも昼を過ぎるとエスプレッソしか飲まないな。ディナーの後もエスプレッソを飲むよ」

そういうと「チャオ」と言い、店を出ていった。きっと仕事に向かったのだろう。

ボローニャの街角で触れたそんなイタリアの朝の風景は、この後、どんな田舎町に行っても見掛けることができた。イタリアにはあらゆる場所にBARと呼ばれるカフェがある。座席もあるが、誰もがカウンターでエスプレッソを愉しみ、さっと出ていく。BARはイタリア全土に10万軒以上あるらしく、どんな小さな町にも存在する。デミタスカップに入ったエスプレッソに砂糖をたくさん入れ、さほど混ぜずにクイクイッと飲む。最後に、底に溜まったエスプレッソが染み込んだ砂糖をスプーンで口にする人もいる。

昼下がり、ミラノの路地裏にあるBARで暇そうにしていた店員に、家では飲まないのかと聞いてみた。すると「家でも飲むよ。モカを使って淹れるんだ」と返ってきた。モカ? 明らかにそういった表情をしたのが伝わったのだろうか、こう教えてくれた。

「ビアレッティのモカさ。どの家にも1台はあるよ」

COFEE MACHINE

ビアレッティ社のマキネッタと呼ばれる抽出器具「モカエキスプレス」のことだ。アウトドア好きなら知っている人も多いだろうこのマキネッタ、手軽にエスプレッソを淹れられるコーヒー道具のひとつだ。そういえばカプチーノもエスプレッソにスチームミルクとフォームミルクを入れたもの。やはりイタリア人は、朝から晩までエスプレッソを飲んでいるのだ。日本でコーヒーといえばドリップコーヒーを指すが、イタリアではCaffè(カッフェ=コーヒー)といえばエスプレッソなのだ。

エスプレッソは高圧の蒸気で一気に抽出するコーヒーの一種だ。特殊な抽出法なので、淹れるには専用のマシンが必要になる。だからイタリアのBARには、必ずエスプレッソマシンが置いてある。どんな小さなBARにもある。そこで飲む苦く濃厚なエスプレッソ、そして家でモカを使って淹れたエスプレッソ、これがイタリア人にとっての“コーヒー”なのだろう。

気になったので「モカエキスプレス」について調べてみた。1933年、アルフォンソ・ビアレッティによって発明され、それまでBARでしか飲めなかったエスプレッソを家庭でも愉しめる飲み物に変えたという。発売されるやまたたく間にブームとなり、イタリア人の生活に溶け込んでいったそうだ。以来、現在に至るまで、基本的な構造やデザインは変わっていない。その完成度の高さは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久展示品になっていることが証明している。

調べていたら、なんだかイタリアの風景が懐かしくなってきた。せっかくだから、日本でもせめてコーヒーぐらいはイタリアを味わってみようと思い、ひとつ購入してみた。

使ってみると、なぜイタリア人に愛されているのかがよくわかる。とにかく簡単なのだ。最下部(ボイラー)に水を入れ、その上にコーヒー粉を入れたフィルターをセットして、上部を取り付ける。あとは火にかけるだけ。沸き始めると「ポコポコ」と音がしてくるので、上部のフタを開けて抽出されたコーヒーのたまり具合を確認。半分と少しあたりになったら、火から下ろして終了だ。ミラノのBARで店員が教えてくれた「粉は極細挽きではなく細挽き、火は弱火」のとおりにやると、エスプレッソらしいきめ細やかでなめらかなクレマ(泡)が作れた。

マシンで淹れたエスプレッソとは少々味わいは異なるが、手軽さは抜群。そして壊れようがないぐらいシンプルな構造。誕生から100年近くが経っても、いまだにイタリア人の生活に生き続けるビアレッティの「モカエキスプレス」。良いものは、どれだけ時が経っても色褪せず愛され続けることを物語っている。

TEXT/円道秀和