Author: アップ・ヴィレッジ

あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

軽自動車やミニバン、SUVなど、イマドキの売れ筋車種を多数ラインナップし、巨人・トヨタに続く日本第2位の自動車ブランドへと成長を遂げたホンダ。そんな優等生の一面とは対照的に、ホンダはその歴史において、しばしば私たちに、熱い挑戦者魂を見せつけてきた。 その一例が、モータースポーツへの飽くなきチャレンジだ。バイクメーカーとして産声を上げたばかりであり、まだ地方の中小企業に過ぎなかった1954年には、2輪ロードレース世界選手権・マン島TTレースへの参戦を宣言(1959年に初出場)。また、1963年に軽トラック「T360」で待望の4輪車進出を果たすと、翌1964年から4輪レースの最高峰・F1グランプリへの参戦を開始し、その年の最終戦メキシコGPで記念すべき初優勝を果たしている。 一方ホンダは、環境保護や低公害車の開発にも注力してきた。有名なところでは、1972年に“CVCCエンジン”を実用化し、当時最も厳しいとされていたアメリカの排出ガス規制を世界で初めてクリア。その後もEV(電気自動車)やハイブリッドカーといった環境に優しいエコカーを開発し、続々と世に送り出している。 「挑戦した後の失敗より、何もしないことを恐れろ」とは、ホンダの創業者であり、偉大なる技術者でもあった本田宗一郎の言葉だ。今のホンダはスマートに振る舞いながらも、その核心には宗一郎の情熱が鮮明に息づいているのである。 ■世界初のオールアルミモノコックボディに挑む そんなホンダの市販車において、彼らの熱き挑戦者魂が結実した最高傑作が、1989年2月のシカゴモーターショーでお披露目された「NS-X」だ。 ホンダは1980年代前半から、エンジンをキャビンの背後に搭載し、後輪を駆動するミッドシップカーの基礎研究をスタート。その後、本格的な2シータースポーツカーとして開発が本格化し、バブル華やかなりしこの年に、日本初の量産スーパースポーツとして産声を上げた。ちなみに車名は、新しいスポーツカーであることを示す“ニュー・スポーツカー”に、未知の領域を指すXをプラスした“New Sports Car X”の略である。 日本での発売は翌1990年9月にスタート。車名は新たに「NSX」とされた。そんな初代“NA型”における最大のチャレンジといえるのが、世界初となるオールアルミ製モノコックボディの実用化だ。その目的は、車体の軽量化に尽きる。当時のスポーツカーは、快適性や安全性が犠牲にされがちな乗り物だったが、開発陣は当初から、パワーウインドウやオートエアコン、トラクションコントロール、ABSといった、時代の要請にマッチした快適/安全装備を備えようと判断。その対価として、どうしてもかさんでしまう車重を少しでも軽減しようと、モノコックボディの素材に着目した。 とはいえ、鉄と比べてアルミは成型や溶接に高度な技術が求められることから、専用工場の設置が必要に。また、特殊な組み立てとなることから、工程の大半は手作業で進められた。 そうした課題を挑戦者魂で乗り越えカタチにしたのが、NSXのオールアルミ製モノコックボディなのだ。 ■広いラゲッジスペースは空力追求の副産物だった NA型の初期モデルに搭載された3リッターV型6気筒DOHCエンジンには、ホンダ独自の機構“VTEC(バリアブル・バルブタイミング・アンド・リフト・エレクトロニック・コントロールシステム)”が搭載された。これは、1本のカムシャフトに低速用と高速用の“ヤマ”を設け、それらを走行中、適宜、切り替えることで、低速トルクと高回転域でのパワーを両立する仕組み。その結果、NSXは、スーパースポーツカーらしい弾けるような胸のすくパワーフィールと、低速域での運転のしやすさを両立した。 NSXの開発に当たってホンダがベンチマークとしたのは、F1におけるライバルでもあったフェラーリの「328」。328は3.2リッターのV型8気筒エンジンを搭載する、当時のフェラーリで最もコンパクトなモデルだった。そんなターゲットを凌駕すべく、ホンダはアイルトン・セナや中嶋悟といった、ホンダ・エンジンを搭載するF1マシンで戦っていたレーシングドライバーたちを開発ドライバーに指名。彼らの厳しい指摘を元に、市販車開発の聖地ともいわれるドイツ・ニュルブルクリンクなどでの過酷なテストを繰り返した。 そうすることで、世界でも一級の走行性能を獲得する一方、NSXはその実用性の高さにおいてもライバルを圧倒した。上記した快適/安全装備の充実はもちろんのこと、車体の後端部分に広いラゲッジスペースを備え、ゴルフバッグの積載さえも可能にしたのだ。 この大きなラゲッジスペースに対し、一部から「スーパースポーツカーが実用性を気にするなんて」と揶揄する声も挙がった。しかしこれ、実は車体の空力性能を高めるべくリアのオーバーハングを伸ばしたことによる副産物だったのだ。実際、走らせてみても、リアの重さを感じることなど一切なく、ミッドシップスポーツカーならではの、シャープなハンドリングを堪能できた。 こうして世に送り出されたNSXは、毎日乗れる、誰にでも扱いやすいスーパースポーツカーとして高い評価を獲得。それを意識したフェラーリが、それ以降、実用性や運転のしやすさに着目した開発を行ってきたことは興味深い。 ちなみに初期のNA型は、本田宗一郎が栃木研究所にあるテストコースで自らその完成度を確かめた、最後の市販車になったという。宗一郎の熱き挑戦者魂が生んだファイナルモデル。それが初代NSXなのである。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

「ストラトス」や「デルタHFインテグラーレ」といった名車で、かつてモータースポーツシーンを席巻したランチア。そのせいか、イタリア・トリノを本拠地とする1906年創業の名門は、走りが研ぎ澄まされたスポーツカーを得意とするブランドと思われがちだが、実はさにあらず。イタリア元首の公用車に使われていたことからも分かる通り、本来は高級車作りを十八番としている。   ランチアは戦前から、他に先駆けて新たなテクノロジーを次々と導入。現代のクルマでは一般的となったモノコックボディや独立式サスペンション、V型エンジンなどを世界で初めて採用したほか、量産車に風洞実験を経て編み出したボディデザインを導入するなど、さまざまな分野で他の一歩先を行くブランドだった。   そうしたクルマ作りの手法もあってか、ランチアは生産のムダを省いたり、コストダウンを徹底したりといった経営の効率化が苦手だったようで、1955年に一度、倒産を経験。その後、経営者交代により新たなスタートを切るものの経営状況は上向かず、1969年、同じイタリアの巨大自動車企業であるフィアットグループの傘下に収まる。 V型8気筒の32バルブエンジンに由来する「テーマ8・32」が誕生 斬新な発想と素晴らしいテクノロジーを有しながら、100%自社オリジナルの新車を世に出すことが難しい状況となったランチア。そんな暗黒時代ともいうべき最中の1984年に誕生した1台が、端正なスタイルが魅力のランチア「テーマ」だ。プラットフォームを始めとする主要コンポーネントを、フィアット「クロマ」、アルファロメオ「164」、サーブ「9000」と共有する“ティーポ4(クアトロ)プロジェクト”から誕生したセダン&ステーションワゴンで、カーデザイン界の巨匠であるジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた空力性能に優れる直線基調のフォルムで、ヨーロッパを中心に高い評価を獲得。ランチアブランドの復興にひと役買う。   そんな成功作であるテーマセダンをベースとし、1988年に同ラインナップに加わったのが、今回採り上げる「テーマ8・32」だ。8・32というネーミングは、ボンネット下に搭載されるV型8気筒の32バルブエンジンに由来。エンジン製造を手掛けたのはなんと同じフィアット傘下に属すフェラーリで、人気のスーパーカー「308クアトロヴァルヴォーレ」に搭載されていた3ℓのV型8気筒エンジンを、高級4ドアセダンの走りにふさわしい味つけへとチューニングし直した上で搭載した。 「テーマ8・32」は、デビュー当初の初期型で最高出力215馬力、最大トルク29.0kgf-mを発生。1991年登場の後期型ではセッティング変更によって200馬力/26.8kgf-mへとスペックダウンしたものの、それでも最高速は240km/h、静止状態から100km/hまでの所要時間は6.8秒という駿足を誇った。   俗に“テーマフェラーリ”とも呼ばれた「テーマ8・32」でスペシャルだったのは、強心臓のフェラーリ製エンジンだけではない。エクステリアでは、星形のホイールや格子状のフロントグリルなど、フェラーリの各モデルを想起させるデザインモチーフを採用。また、トランクリッドには、ワイパーレバーの先に付いたスイッチで動く電動格納式のリアウイングも備えられた。 一方インテリアでは、ダッシュボードの前面やドアトリムの上端に、分厚く美しいあめ色の輝きを放つアフリカンローズウッド製のデコレーションパネルがレイアウト。加えて、シートやドアトリムだけにとどまらずダッシュボード全体までもが、上質な本革で覆われていた。 実はこの革、1912年に創業したイタリアのラグジュアリー家具ブランド、ポルトローナ・フラウ社が手掛けたもの。今でこそ、フェラーリやマセラティといったイタリア製高級車の内装材としてしばしば目にするフラウレザーだが、量産車において初めて採用されたのは、実は「テーマ8・32」だったのだ。 クセは強いが乗りこなしたくなるアクセルフィール 当時から、スーパーカー界では神格化されていたフェラーリや、100年以上の歴史を誇る王室御用達のポルトローナ・フラウなど、イタリアを代表する高級ブランドとのコラボレーションにより、端正な4ドアセダンから特別仕立ての高級サルーンへと昇華してみせた「テーマ8・32」。2020年の今、改めてこのクルマに触れてみると、現代のクルマでは絶対に味わえない強いインパクトに心を揺さぶられる。   現代の評価軸で見るならば、明らかに高回転型のフェラーリ製V8エンジンは回転が上昇するまでが少々かったるく、技術が進歩した今にあっては、ヘタなコンパクトカーにも速さで見劣りしそうだ。また、ヘビー級のV8エンジンを搭載する前輪駆動車だけあって車体のフロント側が明らかに重々しく、コーナーリング時の振る舞いには少々慣れが必要。想像以上にクセの強いクルマである。 しかし、エンジン回転が上昇していくに連れて滑らかさと力強さが格段に増していくパワーフィールや、高回転域まで回した際に耳へと届く吸排気音はまさに鳥肌モノ。思わず病みつきになり、必要もないのにアクセルペダルを深く踏み込んでいる自分がいることに気づく。また、コーナーリング時のクセを先読みしてハンドルを上手に切ってやれば、コーナーが続く峠道でも車体はスムーズに向きを変え、結構ハイペースで駆け抜けられる。   それでいて街中での乗り心地はソフトだから、日常的な移動は快適至極。重く大きいV8エンジンを搭載しつつも、こうした身のこなしを実現できた背景には、長きに渡って高級車を手掛けてきたエンジニアたちの、手練の技が息づいているのだろう。 現代に息づくフェラーリ謹製V8エンジンを積んだ名車 「テーマ8・32」が誕生した1988年から、早30年以上の月日が流れた。その間、イタリア製高級セダンの中には、マセラティ「クアトロポルテ」のようにフェラーリ製エンジンを搭載するモデルが登場。今も根強い人気を誇っている。   「テーマ8・32」はいわばそのパイオニアだが、ボンネットの下に潜むフェラーリ謹製V8エンジンは、排出ガス規制といった足かせなど一切ない古き良き時代の代物とあって、官能性という点においては現代のモデルを完全に凌駕している。   新車開発の自由を奪われた暗黒の時代にありながら、当時のランチアの匠人たちは反骨精神を武器に、何物にも代えがたい希有な名車をこの世に送り出したのだ。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

先進のテクノロジーを伝統のフォルムに包み隠した“端境期”の革新的サルーン「ジャガー XJ」(X350)

先進のテクノロジーを伝統のフォルムに包み隠した“端境期”の革新的サルーン「ジャガー XJ」(X350)

ジャガーといえば、イギリスを代表する高級車ブランドだ。それだけに、そのネーミングを耳にして思い浮かべるのは、格式や伝統、はたまた、アンダーステートメント(控えめな様)といったキーワードではないだろうか?

 

確かにジャガー(と同じグループに属すランドローバー)は、エリザベス女王、エジンバラ公、チャールズ皇太子のそれぞれから“ロイヤルワラント”の称号を授かる唯一の自動車メーカーであり、英国王室のみならず、イギリス首相を始めとするVIPたちも公用車として路用する格式あるブランドだ。また、ジャガーがこの世に誕生したのは1935年のことだが、オートバイのサイドカーを手掛けていた前身のスワロー・サイドカー・カンパニー(1922年創業)を含めれば、間もなく創業100周年を迎える老舗ブランドでもある。つまり、ジャガーのバックグラウンドには、イギリスの格式と伝統が息づいているのだ。

 

だからといって、アンダーステートメントの退屈なブランドでないところがジャガーの面白いところ。例えばジャガーは、第二次世界大戦後間もない1948年に、優れた性能と洒落たデザインを兼備した2シータースポーツカー「XK120」を発表し、世界中で高い評価を獲得。さらに、1951年のル・マン24時間耐久レースでの優勝を皮切りに、10年間で実に5 度のル・マン制覇を成し遂げるなど、モータースポーツの世界においても確固たる地位を築いてみせた。このように、クルマづくりにおいてもレース界においても、黎明期から挑戦を繰り返してきたブランドがジャガーなのである。

 

完成度の高いスポーツカーやレースでの活躍によって得た名声を武器に、ジャガーが1968年に発表したのがラージサルーンの「XJ」だ。英国内外のライバルにも劣らない優れた性能と、比較的リーズナブルなプライスを実現したXJは、瞬く間に高い人気を獲得。その結果ジャガーは、高級かつスポーティという独自のブランドイメージ構築に成功する。

 

以降、フラッグシップサルーンとしてジャガーのラインナップに君臨することになるXJ。その半世紀以上に及ぶ歴史の中で最もチャレンジングだったモデルといえば、2002年に誕生した“X350”だろう。

丸形4灯ヘッドランプや低くスマートなシルエットなど、X350のルックスは初代から継承される“XJのアイコン”を踏襲していたし、ウッドパネルを広範囲にあしらい、トランスミッションのセレクターに伝統の“Jゲート”を採用したインテリアなども、いかにもジャガーらしいものだった。そのため「X350はチャレンジングなモデルだった」といっても、ピンと来ない人も多いことだろう。

しかしX350の真価は、パッと見では分からないその骨格に隠されていた。技術的に製品化が困難な、アルミ合金製のモノコックボディを採用していたのである。

 

アルミ素材を自動車用部品として使うことの難しさは、主要素材である鉄と比べ、溶接が困難という点に尽きる。この難題に対して、ジャガーは航空機などで用いられていた“リベット接着”という技術を導入。さらに、アルミ製モノコックボディは万一の際の修理が困難だが、壊れた箇所を切り取って新しいパーツをリベット止めするという新たな手法を編み出すなど、さまざまな課題を解決してみせたのだ。ここ日本でも、当時のインポーターであったジャガー・ジャパンが、X350導入に併せて専用の修理センターを設置。アルミ製モノコックボディの導入に向け、インフラ面においても挑戦を繰り返した。

 

その結果、X350の骨格は、従来モデルに対して約4割も軽量に仕上がった。車重だけをみれば従来モデルとの違いはわずかだが、全長5090mm、全幅1900mm、全高1545mmとボディサイズがひと回り大きくなり、各種安全&快適装備がはるかに充実していたことを考えると、その効果は相当大きかったとみて間違いない。

 

さらに、アルミモノコックボディの採用で剛性が60%以上もアップしたボディが、乗り味の向上に効いていた。強固な骨格と精緻に動くサスペンションが路面からの衝撃を巧みにいなし、X350はまるで絨毯の上を行くかのようにフラットな車体姿勢をキープし続けたのだ。それは現代の目で見ても非常に洗練されたもので、まるで野生動物のジャガーの足下を支える肉球が、X350のサスペンションにも備わっているかのようであった。

 

また、軽く仕上がったボディの効果で、車体の大きさをドライバーが感じないというのも、X350も特徴。コーナーが続くワインディングでもヒラリヒラリと軽快に駆け抜けていくのが印象的だった。こうしたフィーリングは、比較的軽量なV6エンジン搭載車から、スーパーチャージャーで過給したハイパワーエンジンと締め上げられた足とを組み合わせたスポーティグレードまで統一されていたことから、強固なオールアルミ製モノコックボディ(と出来のいいサスペンション)の効果のほどがうかがえる。

ジャガーの親会社がフォードからインドのタタ・モーターズへと変わる激動の時代を生きたX350は、機械的に優れた魅力を備えていたにもかかわらず、ビジネス的には成功を収めることはできなかった。そして2010年には、後継モデルである“X351”へとバトンタッチし、フラッグシップサルーンとしての役目を終えている。しかし、X350で初めてトライされたアルミ製モノコックボディの発展版がX351にも採用されたことからも、X350の挑戦は決してムダではなかったことは明らかだ。

 

その後ジャガーは、2019年にX351の生産を終了。間もなく登場するであろう次期XJは、ピュアEV(電気自動車)になることがアナウンスされている。創業当時から挑戦を繰り返すことで確固たるブランドイメージを築き上げたジャガーが、今度はピュアEVのXJで新たな名声を獲得しようとしている。

TEXT/アップ・ヴィレッジ

最後の自然吸気「ストレート6」を積む 切れ味鋭いピュアスポーツクーペ<BMW「M3」(E46)>

最後の自然吸気「ストレート6」を積む 切れ味鋭いピュアスポーツクーペ<BMW「M3」(E46)>

突然だが、BMWと聞いてどんなことを思い浮かべるだろう? 高級車、高性能セダン、はたまた昨今人気のSUV…と、その答えは十人十色だろうが、BMWマニアやクルマ好きの中には “直列6気筒エンジン“を思い浮かべる人も多いのではないか? “直6”や“ストレート6”とも呼ばれる直列6気筒エンジンは、BMW車を語る上で外せない存在だ。同社が直6を初めて手掛けたのは1933年のことで、BMWにとって初の自社開発オリジナルモデルとなる「303」に、2リッターの直列6気筒エンジンが搭載された。ちなみにこの303、直6と並ぶBMWの象徴であるフロントの“キドニーグリル(Kidney=腎臓)”を初めて採用したモデルでもあり、まさに記念碑的な1台といえる。 そして第二次世界大戦後、他社が大型セダン向けにV型8気筒エンジンの開発に舵を切る中で、BMWはそれまでと同様、直6の開発を推進。新しいフラッグシップセダンに搭載された2.5リッターの直列6気筒エンジンは市場で高い評価を得る。以降もBMWは、ストレート6開発の手を緩めることなく、現在に至るまで数々の名機を世に送り出してきた。 しかし、他メーカーも同様の構造・機構を持つエンジンを開発・製品化してきたにもかかわらず、なぜBMWだけ評価が抜きん出ているのか? その秘密は、BMWのストレート6が、格別な回転フィールを備えているからにほかならない。直列6気筒エンジンというのは、理論上、慣性力に起因する振動などが発生しない“完全バランス”の上に成り立つユニットだが、特にBMWのそれは、どこまでも回りそうなくらいスムーズな回転上昇と、優れた静粛性で他社を圧倒した。そのシルクのように滑らかな回転フィールは絶品で、人々は称賛の意味も込め“シルキーシックス”と呼んできた。 そんなBMWの直6を語る上で、どうしても外せない1台がある。それが、名機を搭載した3代目(E46型)の「M3」だ。 M3の初代(E30型)は、市販車をベースとするマシンで争われるツーリングカーレースへ参戦すべく、スポーツセダンの「3シリーズ」をべースに誕生。以降、現在に至るまで、M3は一貫して同社のモータースポーツ部門である“BMW M”社が開発を担うなど、BMWのレースフィールドでの活躍と深い関係にある。 そんな由緒あるM3の歴代モデルの中で、今回、E46にフォーカスした理由は、このモデルに搭載される直列6気筒エンジン“S54B32”の存在にほかならない。実はこのユニットは、現時点において、“BMW最後の”自然吸気式ストレート6なのである。 M3に直列6気筒エンジンが搭載されたのは、2代目となる“E36型”から。デビュー当初、2990ccだったE36のストレート6は、後期モデルで3201ccへと排気量を拡大、さらに、E46への進化に際し、3246ccとなっている。このS54B32ユニットは、吸排気系のバルブタイミングをコントロールするBMW独自の“ダブルVANOS”や、エンジン内部の摩擦抵抗の徹底的な軽減など、F1参戦で培った技術を余すところなく投入することで、最高出力343馬力、最大トルク37.2kgf-mを発生。しかも、最高出力の発生回転数がレッドゾーンぎりぎりの7900回転という超高速型のユニットだった。 実際、ドライブしてみると、このストレート6はパワーの出方とレスポンスの良さが強烈で、レッドゾーンが始まる8000回転まで、まさによどみなくパワーが盛り上がり続ける印象。特に、高回転域におけるエンジンの存在感は圧倒的で、野太いエキゾーストノートを奏でながらM3をハイスピード領域まで誘っていく。 ターボチャージャーで過給したり、モーターでアシストしたりした最新のエンジンは、確かに力強くて速く、それでいて街中などでもあっけないほど乗りやすい。これは、燃費や運転のしやすさなどを考慮した結果、低~中回転域での力強さを重視したセッティングになっているためだ。 しかしその分、高回転域ではパワーの頭打ちを感じることが少なくないし、過給器やモーターによる“ドーピング”のせいか、時にパワーの出方が不自然に感じることもある。現在、BMWが展開する直列6気筒ガソリンエンジンも、ターボで過給されたユニットだ。もちろん、ライバルの心臓部と比べれば格段にスムーズかつ力強いのだが、回せば回すほどパワーが湧き出る印象のS54B32と比べたら、官能性でどうしても見劣りしてしまう。 一方、S54B32という名機が積まれたE46のボディも、随所にこだわりが感じられる仕立てだった。実は、E46は前身のE36に対し、車重が100kg以上も重くなっていた。E30の生い立ちを知り、E36の軽快なフットワークを評価していた口さがない一部のカーマニアたちは、重くなったE46を見て「M3は終わった」とさえ揶揄したほどだ。 しかし、歴代M3の開発を担うBMW M社には、多少重くなってでも追求したいE46の開発理念があった。それは、追い上げ激しいライバルはもちろんのこと、ひとクラス上のスポーツカーをも凌駕する目覚ましい走行性能の実現だ。そのために開発陣は、E36からE46への進化に際し、ボディ剛性を引き上げ、車体の耐久性を高め、足回りをしっかり固めるなど、走りを司る“基本のキ”を徹底的に磨き込んだのだ。 強固なボディと足回りを手に入れ、重量アップのネガも強力かつ官能的なS54B32で補ったE46型M3は、超高性能スポーツクーペとして世界的に高評価を獲得。さらに、2003年に登場したハイパフォーマンス仕様「CSL」では、C=クーペ、S=スポーツ、L=ライトウエイトの頭文字からとられたネーミングからも明らかなように、カーボンファイバー製のルーフやドアトリムを採用した上に、多くの快適装備をはぎ取ることで軽量化を徹底。そこに、360馬力にまでパワーアップされたストレート6を組み合わせることで、市販車開発の聖地とされるドイツ・ニュルブルクリンクの北コースにおいて、7分50秒という当時の最速タイムをマークしてみせた。 このように、官能的な走行フィールはもちろん、絶対的な速さも身につけたE46のM3には、省燃費や環境への配慮を重視するあまり現代のクルマやエンジンが失ってしまったドラマが息づいている。そして、その走りの核となるBMW謹製ストレート6は、BMW=“バイエリッシュ・モトレーン・ヴェルケ(バイエルンのエンジン工場)”の意地と情熱の結晶といえるだろう。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

“空冷ポルシェ”の最後を飾ったスポーツカーファン永遠の憧れポルシェ「911」(Type993)

“空冷ポルシェ”の最後を飾ったスポーツカーファン永遠の憧れポルシェ「911」(Type993)

誕生以来、半世紀以上の長きに渡り、世界中のスポーツカーファンを魅了し続ける名車がある。それが、ドイツの名門・ポルシェのアイコンともいうべき「911」だ。 ポルシェは1931年、“ビートル”の愛称で親しまれたフォルクスワーゲン「タイプI」を設計したフェルディナント・ポルシェが設立。当初は、設計とエンジニアリングを手掛ける小さな企業だったが、1948年、フェルディナントの息子であるフェリーが、同社初の市販車「356」を開発し、スポーツカーメーカーとしての第一歩を記す。 その後、フェルディナントは1951年に逝去したものの、フェリーは356を進化させるなど事業を継続。北米マーケットで成功を収めるなど、356は最終的に約7万7000台のセールスを記録する。 処女作からスポーツカービジネスで成功を収めたポルシェが、次なるステップへと踏み出したのは1963年のこと。きっかけとなったのは、356の後継モデル「911」の誕生だ。911はデビュー後間もなく、スーパーカーブームの一躍を担う注目株へと成長。以降、現在に至る55年以上もの間、歴史モデルが世界中で高い評価を獲得し続けている。 911が高く評価される理由、それは、何といっても走行フィールに尽きる。初代から現行モデルに至るまで、911はリアタイヤに十分な荷重が掛かるRR(リアエンジン/リアドライブ)レイアウトと、低重心の水平対向エンジンを一貫して採用。それらが紡ぎ出す強力なトラクション性能とスムーズで自然な操舵フィール、滑らかなエンジンの吹け上がりなどは、いつの時代も一級品だ。そこに、“バイザッハ”と呼ばれる自社のテストコースで磨き込まれた卓越したブレーキと軽やかなフットワークとが相まって、いつの時代も精緻な乗り味を提供し続けている。 そうした911のヒストリーにおいて、現在、マニア垂涎の1台となっているのが、第4世代の“タイプ993”だ。ポルシェは356の時代から、長年、エンジンの冷却システムに空冷式を採用していたが、このモデルを最後に、すべてのエンジンを水冷式へと変更。つまり空冷式の最終章を飾ったのがタイプ993というわけだ。 空冷式とはその名の通り、エンジンを直接、空気で冷却する方式で、エンジンのシリンダーヘッドやシリンダーブロックの周囲には、冷却効果を高めるためのフィンが設けられている。エンジンから生じた熱がこの冷却フィンへと伝わり、大気中へと放散される仕組みだ。 ポルシェが長きに渡って空冷式にこだわり続けた理由は、構造がシンプルな点にある。空冷式は、ラジエーターなど重量がかさむ補機類で不要なほか、シリンダーブロック内に冷却水が通るウォータージャケットを設ける必要もないことから、必然的にエンジンの軽量化につながる。軽さはスポーツカーにとって外せない要素だが、当時のポルシェはそうしたスポーツカーづくりの“一丁目一番地”を真摯に追求し続けていたことがうかがえる。 しかし、性能向上とともに、911の水平対向エンジンは発熱量が増大。空気による冷却でそれらをコントロールすることは限界に達しつつあった。さらに、厳しくなるばかりの排出ガス規制に対しても、空冷式は不利とされていた。そうした状況を鑑みて、ポルシェは熟成を重ねてきた空冷エンジンの継続採用を断念。後継モデル“タイプ996”以降は、水冷エンジンへのスイッチを決断することになる。 こうして最後の空冷エンジン車となったタイプ993は、今やポルシェマニアの間で“最後の911”と神格化されている。エクステリアは、一見、“代わり栄えしない”911らしいものだが、実は前身の“タイプ964”に対し、ルーフラインを除くほぼすべてのパーツを刷新。特にリアフェンダーは大幅に拡幅され、グラマラスな曲面フォルムへと生まれ変わった。 また、ボディと一体化された前後バンパー、ボディとの段差が小さくなったサイドのガラス面、盛り上がりが小さく抑えられたフロントフェンダーなど、ディテールも変更。911のDNAを継承しつつも、新たな時代の到来を告げるデザインとなった。 タイプ993の技術面で特筆すべきは、一新された足回りだ。新採用のマルチリンク式リアサスペンションは、しなやか、かつ安定感ある走行フィールを実現。それまでの911は硬派な乗り味が特徴だったが、足回りの一新で一気にモダンなスポーツカーへと進化した。ちなみにリアフェンダーの拡幅は、この足回りを収めるためだったともいわれている。 タイプ993は空冷エンジンを積む“最後の911”となったものの、ポルシェは水平対向エンジンを進化させ続けた。リアフェンダーの拡幅に合わせ、従来モデルから排気系を改善した初期のエントリーモデルは、最高出力は272馬力を発生していたが、1995年のマイナーチェンジでは独自の可変吸気システム“バリオラム”を組み合わせることで、285馬力へとパワーアップ。このほか、歴代モデルで初めて、ツインターボチャージャーを採用した「911ターボ」を世に送り出すなど、水冷エンジンの性能追求はモデル末期まで続いた。 2020年の今、改めてタイプ993に触れてみると、やはり空冷式ならではのエンジンサウンドが新鮮に感じる。シンプルな構造だからか、燃焼に伴う「シャー」というエンジンサウンドが否応なしに耳へと届く。宿敵フェラーリのそれのように官能的とはいいがたいが、精密な機械がいい仕事をしているという印象だ。ポルシェ好きの中には、この独特のサウンドを「胎盤を流れる血液の音」と表現するマニアもいるという。人間にとっての根源的な記憶を思い起こさせる音だからこそ、ポルシェの水冷エンジンはクルマ好きの本能をくすぐるのだろう。 最新の911に搭載される水冷エンジンは、空冷式の時代に比べて加速力や走行性能が格段の進化を遂げているが、昔のポルシェを愛する人々は皆、何か物足りないと口々にいう。最新の911は、最強かつ最良のポルシェであることに疑いの余地はないが、ポルシェ好きにとって“最高のポルシェ”は、空冷エンジンを搭載する最後の911=タイプ993なのである。 Author: アップ・ヴィレッジ

「最善か無か」を旗印に掲げた往時の“メルセデスの良心”を今に伝える <メルセデス・ベンツ「Eクラス」(W124)>

「最善か無か」を旗印に掲げた往時の“メルセデスの良心”を今に伝える <メルセデス・ベンツ「Eクラス」(W124)>

世界最古の自動車メーカーとして知られるドイツの名門・メルセデス・ベンツ。現在でこそコンパクトハッチバックの「Aクラス」や小型SUVの「GLA」など、手の届きやすいモデルを多数取りそろえる同ブランドだが、1990年代前半くらいまでのラインナップは、まさに少数精鋭と呼ぶにふさわしいものだった。

 

主軸は、エントリーモデルの「190E」(「Cクラス」の前身)、ミドルサイズの「ミディアムクラス」(後の「Eクラス」)、フラッグシップの「Sクラス」というセダン3本柱。そのほか、EクラスとSクラスをベースとしたクーペ、2シーターオープンスポーツの「SL」、クロスカントリー4WDの「Gクラス」といった趣味性の高いモデルも取りそろえてはいたが、いずれも生産台数は限られていた。

 

そんな数少ないラインナップで、メルセデスが自動車ビジネスを継続できたのはなぜか? コストの制約や販売競争が現在ほど厳しくない大らかな時代だったことも理由のひとつだが、最大の要因は何といっても、メルセデスのクルマ作りに対する崇高な信念が各モデルに貫かれていたからだろう。

 

それは、メルセデスの創始者であるゴットリーブ・ダイムラーが掲げた“最善か無か”という信念。ファクトリーから送り出されるプロダクツは、品質や安全性といったすべてにおいて、最高水準にまで磨き抜かれたものでなくてはならない、という考え方だ。

 

そうした信念に共感を抱く多くの人々から、高い支持を集めた名車が、1984年の晩秋に発表されたミディアムクラス/Eクラス(W124)だ。11年間のモデルライフにおいて、ステーションワゴン(S124)やクーペ(C124)、カブリオレ(A124)といった派生モデルをラインナップに加え、シリーズ累計273万台以上のセールスを記録。当時のメルセデスのベストセラー記録を塗りかえてみせた。

“最善か無か”の信念の下、W124の開発がスタートしたのは1977年のこと。コストがふんだんに投下され、ボディには高張力鋼板などの軽量化素材が多数採用された。また安全性においても、強固なキャビンや前後に設けられたクラッシャブルゾーンにより、当時としては先端をゆく前面オフセット衝突に対応するなど、妥協のない設計が施された。

一方、速度無制限区間のあるドイツ・アウトバーンでの高速性能を重視し、風洞実験室でのテストを繰り返すことで空気抵抗を低減。結果、前身のモデルに対し、燃費性能も改善している。

そうしたこだわりは、細部に至るまで貫かれている。例えば、リアのコンビネーションランプは、ドロなどが付いても後方からの被視認性を確保できるよう、表面のパネルに凹凸が設けられているし、前後シートは快適な座り心地を実現するため、スプリングやクッションの間に動物の毛やヤシの実の繊維を挟んで通気性を確保するなど、今見ても思わずうならされる秀逸なアイデアが垣間見える。

そんなW124の形容詞としてしばしば用いられるのが、“オーバークオリティ”や“金庫のような剛性感”といった言葉だ。2020年の今、改めてEクラスセダンに触れてみると、そうした言葉が決して誇張されたものではないことを実感させられる。

 

まず車内に乗り込む段階から、オーバークオリティという言葉が脳裏に浮かぶ。「ガチャリ」と鈍い金属音を伴って閉まるドアは、重い金庫の扉のように重厚。走り出してもその印象は変わらない。ボディは「ミシリ」ともいわず、35年以上も前に誕生したモデルとは思えないほど高い剛性感を感じさせる。

 

また、踏みごたえのあるアクセルペダルは、微妙なスピードコントロールを可能にしてくれるし、小さな力でもしっかり握れる径の大きいハンドルは、ロングドライブ時の疲労感を軽減してくれる。今の時代にはお目にかかれない往時のメルセデス特有のパーツ類も、このように理に適ったものなのだ。

まさに非の打ちどころがないと感じる、往時のメルセデスのクルマづくりだが、残念ながらこの後、より厳しさを増す環境性能への要求や、利益追求のためのコストダウン、そして、他社との熾烈な販売競争などにより、“最善か無か”のスローガン自体、使われなくなってしまった。

 

2010年代後半、再び“最善か無か”のスローガンが掲げられるようになり、最新のメルセデスはいずれもクオリティが大幅に高まってきているが、そこに往時のW124の面影はない。確かに、いいクルマぞろいではあるものの、オーバークオリティや金庫のような剛性感といった印象のW124とは方向性の異なる、イマドキのいいクルマなのである。

 

つまりW124は、“最善か無か”のスローガンの下、徹底的にこだわって開発された最後の“リアル・メルセデス”といえるだろう。多くのクルマ好きが今も高く評価し続ける理由はそこにある。

TEXT/アップ・ヴィレッジ