あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

軽自動車やミニバン、SUVなど、イマドキの売れ筋車種を多数ラインナップし、巨人・トヨタに続く日本第2位の自動車ブランドへと成長を遂げたホンダ。そんな優等生の一面とは対照的に、ホンダはその歴史において、しばしば私たちに、熱い挑戦者魂を見せつけてきた。

 

その一例が、モータースポーツへの飽くなきチャレンジだ。バイクメーカーとして産声を上げたばかりであり、まだ地方の中小企業に過ぎなかった1954年には、2輪ロードレース世界選手権・マン島TTレースへの参戦を宣言(1959年に初出場)。また、1963年に軽トラック「T360」で待望の4輪車進出を果たすと、翌1964年から4輪レースの最高峰・F1グランプリへの参戦を開始し、その年の最終戦メキシコGPで記念すべき初優勝を果たしている。

 

一方ホンダは、環境保護や低公害車の開発にも注力してきた。有名なところでは、1972年に“CVCCエンジン”を実用化し、当時最も厳しいとされていたアメリカの排出ガス規制を世界で初めてクリア。その後もEV(電気自動車)やハイブリッドカーといった環境に優しいエコカーを開発し、続々と世に送り出している。

 

「挑戦した後の失敗より、何もしないことを恐れろ」とは、ホンダの創業者であり、偉大なる技術者でもあった本田宗一郎の言葉だ。今のホンダはスマートに振る舞いながらも、その核心には宗一郎の情熱が鮮明に息づいているのである。

■世界初のオールアルミモノコックボディに挑む

そんなホンダの市販車において、彼らの熱き挑戦者魂が結実した最高傑作が、1989年2月のシカゴモーターショーでお披露目された「NS-X」だ。

 

ホンダは1980年代前半から、エンジンをキャビンの背後に搭載し、後輪を駆動するミッドシップカーの基礎研究をスタート。その後、本格的な2シータースポーツカーとして開発が本格化し、バブル華やかなりしこの年に、日本初の量産スーパースポーツとして産声を上げた。ちなみに車名は、新しいスポーツカーであることを示す“ニュー・スポーツカー”に、未知の領域を指すXをプラスした“New Sports Car X”の略である。

 

日本での発売は翌1990年9月にスタート。車名は新たに「NSX」とされた。そんな初代“NA型”における最大のチャレンジといえるのが、世界初となるオールアルミ製モノコックボディの実用化だ。その目的は、車体の軽量化に尽きる。当時のスポーツカーは、快適性や安全性が犠牲にされがちな乗り物だったが、開発陣は当初から、パワーウインドウやオートエアコン、トラクションコントロール、ABSといった、時代の要請にマッチした快適/安全装備を備えようと判断。その対価として、どうしてもかさんでしまう車重を少しでも軽減しようと、モノコックボディの素材に着目した。

とはいえ、鉄と比べてアルミは成型や溶接に高度な技術が求められることから、専用工場の設置が必要に。また、特殊な組み立てとなることから、工程の大半は手作業で進められた。

そうした課題を挑戦者魂で乗り越えカタチにしたのが、NSXのオールアルミ製モノコックボディなのだ。

■広いラゲッジスペースは空力追求の副産物だった

NA型の初期モデルに搭載された3リッターV型6気筒DOHCエンジンには、ホンダ独自の機構“VTEC(バリアブル・バルブタイミング・アンド・リフト・エレクトロニック・コントロールシステム)”が搭載された。これは、1本のカムシャフトに低速用と高速用の“ヤマ”を設け、それらを走行中、適宜、切り替えることで、低速トルクと高回転域でのパワーを両立する仕組み。その結果、NSXは、スーパースポーツカーらしい弾けるような胸のすくパワーフィールと、低速域での運転のしやすさを両立した。

NSXの開発に当たってホンダがベンチマークとしたのは、F1におけるライバルでもあったフェラーリの「328」。328は3.2リッターのV型8気筒エンジンを搭載する、当時のフェラーリで最もコンパクトなモデルだった。そんなターゲットを凌駕すべく、ホンダはアイルトン・セナや中嶋悟といった、ホンダ・エンジンを搭載するF1マシンで戦っていたレーシングドライバーたちを開発ドライバーに指名。彼らの厳しい指摘を元に、市販車開発の聖地ともいわれるドイツ・ニュルブルクリンクなどでの過酷なテストを繰り返した。

 

そうすることで、世界でも一級の走行性能を獲得する一方、NSXはその実用性の高さにおいてもライバルを圧倒した。上記した快適/安全装備の充実はもちろんのこと、車体の後端部分に広いラゲッジスペースを備え、ゴルフバッグの積載さえも可能にしたのだ。

この大きなラゲッジスペースに対し、一部から「スーパースポーツカーが実用性を気にするなんて」と揶揄する声も挙がった。しかしこれ、実は車体の空力性能を高めるべくリアのオーバーハングを伸ばしたことによる副産物だったのだ。実際、走らせてみても、リアの重さを感じることなど一切なく、ミッドシップスポーツカーならではの、シャープなハンドリングを堪能できた。

こうして世に送り出されたNSXは、毎日乗れる、誰にでも扱いやすいスーパースポーツカーとして高い評価を獲得。それを意識したフェラーリが、それ以降、実用性や運転のしやすさに着目した開発を行ってきたことは興味深い。

 

ちなみに初期のNA型は、本田宗一郎が栃木研究所にあるテストコースで自らその完成度を確かめた、最後の市販車になったという。宗一郎の熱き挑戦者魂が生んだファイナルモデル。それが初代NSXなのである。

TEXT/アップ・ヴィレッジ



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