“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

「ストラトス」や「デルタHFインテグラーレ」といった名車で、かつてモータースポーツシーンを席巻したランチア。そのせいか、イタリア・トリノを本拠地とする1906年創業の名門は、走りが研ぎ澄まされたスポーツカーを得意とするブランドと思われがちだが、実はさにあらず。イタリア元首の公用車に使われていたことからも分かる通り、本来は高級車作りを十八番としている。

 

ランチアは戦前から、他に先駆けて新たなテクノロジーを次々と導入。現代のクルマでは一般的となったモノコックボディや独立式サスペンション、V型エンジンなどを世界で初めて採用したほか、量産車に風洞実験を経て編み出したボディデザインを導入するなど、さまざまな分野で他の一歩先を行くブランドだった。

 

そうしたクルマ作りの手法もあってか、ランチアは生産のムダを省いたり、コストダウンを徹底したりといった経営の効率化が苦手だったようで、1955年に一度、倒産を経験。その後、経営者交代により新たなスタートを切るものの経営状況は上向かず、1969年、同じイタリアの巨大自動車企業であるフィアットグループの傘下に収まる。

V型8気筒の32バルブエンジンに由来する「テーマ8・32」が誕生

斬新な発想と素晴らしいテクノロジーを有しながら、100%自社オリジナルの新車を世に出すことが難しい状況となったランチア。そんな暗黒時代ともいうべき最中の1984年に誕生した1台が、端正なスタイルが魅力のランチア「テーマ」だ。プラットフォームを始めとする主要コンポーネントを、フィアット「クロマ」、アルファロメオ「164」、サーブ「9000」と共有する“ティーポ4(クアトロ)プロジェクト”から誕生したセダン&ステーションワゴンで、カーデザイン界の巨匠であるジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた空力性能に優れる直線基調のフォルムで、ヨーロッパを中心に高い評価を獲得。ランチアブランドの復興にひと役買う。

 

そんな成功作であるテーマセダンをベースとし、1988年に同ラインナップに加わったのが、今回採り上げる「テーマ8・32」だ。8・32というネーミングは、ボンネット下に搭載されるV型8気筒の32バルブエンジンに由来。エンジン製造を手掛けたのはなんと同じフィアット傘下に属すフェラーリで、人気のスーパーカー「308クアトロヴァルヴォーレ」に搭載されていた3ℓのV型8気筒エンジンを、高級4ドアセダンの走りにふさわしい味つけへとチューニングし直した上で搭載した。

「テーマ8・32」は、デビュー当初の初期型で最高出力215馬力、最大トルク29.0kgf-mを発生。1991年登場の後期型ではセッティング変更によって200馬力/26.8kgf-mへとスペックダウンしたものの、それでも最高速は240km/h、静止状態から100km/hまでの所要時間は6.8秒という駿足を誇った。

 

俗に“テーマフェラーリ”とも呼ばれた「テーマ8・32」でスペシャルだったのは、強心臓のフェラーリ製エンジンだけではない。エクステリアでは、星形のホイールや格子状のフロントグリルなど、フェラーリの各モデルを想起させるデザインモチーフを採用。また、トランクリッドには、ワイパーレバーの先に付いたスイッチで動く電動格納式のリアウイングも備えられた。

一方インテリアでは、ダッシュボードの前面やドアトリムの上端に、分厚く美しいあめ色の輝きを放つアフリカンローズウッド製のデコレーションパネルがレイアウト。加えて、シートやドアトリムだけにとどまらずダッシュボード全体までもが、上質な本革で覆われていた。

実はこの革、1912年に創業したイタリアのラグジュアリー家具ブランド、ポルトローナ・フラウ社が手掛けたもの。今でこそ、フェラーリやマセラティといったイタリア製高級車の内装材としてしばしば目にするフラウレザーだが、量産車において初めて採用されたのは、実は「テーマ8・32」だったのだ。

クセは強いが乗りこなしたくなるアクセルフィール

当時から、スーパーカー界では神格化されていたフェラーリや、100年以上の歴史を誇る王室御用達のポルトローナ・フラウなど、イタリアを代表する高級ブランドとのコラボレーションにより、端正な4ドアセダンから特別仕立ての高級サルーンへと昇華してみせた「テーマ8・32」。2020年の今、改めてこのクルマに触れてみると、現代のクルマでは絶対に味わえない強いインパクトに心を揺さぶられる。

 

現代の評価軸で見るならば、明らかに高回転型のフェラーリ製V8エンジンは回転が上昇するまでが少々かったるく、技術が進歩した今にあっては、ヘタなコンパクトカーにも速さで見劣りしそうだ。また、ヘビー級のV8エンジンを搭載する前輪駆動車だけあって車体のフロント側が明らかに重々しく、コーナーリング時の振る舞いには少々慣れが必要。想像以上にクセの強いクルマである。

しかし、エンジン回転が上昇していくに連れて滑らかさと力強さが格段に増していくパワーフィールや、高回転域まで回した際に耳へと届く吸排気音はまさに鳥肌モノ。思わず病みつきになり、必要もないのにアクセルペダルを深く踏み込んでいる自分がいることに気づく。また、コーナーリング時のクセを先読みしてハンドルを上手に切ってやれば、コーナーが続く峠道でも車体はスムーズに向きを変え、結構ハイペースで駆け抜けられる。

 

それでいて街中での乗り心地はソフトだから、日常的な移動は快適至極。重く大きいV8エンジンを搭載しつつも、こうした身のこなしを実現できた背景には、長きに渡って高級車を手掛けてきたエンジニアたちの、手練の技が息づいているのだろう。

現代に息づくフェラーリ謹製V8エンジンを積んだ名車

「テーマ8・32」が誕生した1988年から、早30年以上の月日が流れた。その間、イタリア製高級セダンの中には、マセラティ「クアトロポルテ」のようにフェラーリ製エンジンを搭載するモデルが登場。今も根強い人気を誇っている。

 

「テーマ8・32」はいわばそのパイオニアだが、ボンネットの下に潜むフェラーリ謹製V8エンジンは、排出ガス規制といった足かせなど一切ない古き良き時代の代物とあって、官能性という点においては現代のモデルを完全に凌駕している。

 

新車開発の自由を奪われた暗黒の時代にありながら、当時のランチアの匠人たちは反骨精神を武器に、何物にも代えがたい希有な名車をこの世に送り出したのだ。

TEXT/アップ・ヴィレッジ



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