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無骨さと高級感…相反する魅力を兼ね備えた「メルセデス・ベンツ Gクラス(W463型/初代)」

無骨さと高級感…相反する魅力を兼ね備えた「メルセデス・ベンツ Gクラス(W463型/初代)」

クルマは短くて4年ほど、長くても6年から8年くらいのサイクルで次世代モデルへと刷新されるのが一般的だ。その理由は、エンジンやプラットフォームといった機械的ハードウェアと、安全運転支援システムやインフォテイメントシステムといった電子的なソフトウェアとが日々絶え間なく進化しているから。そのためクルマというプロダクツでは、なかなかロングセラーが登場しない。 そんな中にあって、メルセデス・ベンツの初代「Gクラス」は、実に39年という長きにわたって人々に愛され続けた稀有なモデルだ。この偉大なるロングセラーのルーツは、メルセデスブランドを展開していた親会社のダイムラー・ベンツ社が、オーストリアのシュタイア・プフ社と協力して1972年に開発を始めた1台の軍用車両にさかのぼる。その車両は後にNATO(北大西洋条約機構)軍に制式採用され、ドイツ語で“オフローダー”を意味する“ゲレンデヴァーゲン(Geländewagen)”という名称で呼ばれることになる。 その後メルセデス・ベンツは、1979年に軍用のゲレンデヴァーゲンを民生用に仕立て直したモデルを発表。メルセデス・ベンツ初のクロスカントリー4WD車となる、初代Gクラス(W460型)の誕生だ。 W460型Gクラス  ちなみに車名にある“G”とは、ゲレンデヴァーゲンの頭文字からとられたものであることはいうまでもない。 ■名車に継承された心臓部と世界をリードした足回り そんな成り立ちを持つ初代Gクラスは、生産・販売が続けられた39年の間、時代の変化に応じたマイナーチェンジを繰り返した。これにより、エンジンや4WDシステムを始めとするハードウェアや快適性を左右するインテリアなどは、デビュー当時のそれから大きく様変わりしている。 中でもターニングポイントとなったのが、1989年に行われたW463型へのモデルチェンジだ。4WDシステムはフルタイム式となり、エクステリアではオーバーフェンダーやサイドステップを追加。インテリアもラグジュアリーな仕立てとなるなど、性能向上や居住性の改善が図られた。これにより、質実剛健なプロ向けツールとしての色合いが濃かったGクラスは、プレミアムカーと呼ぶにふさわしいモデルへと変貌。第2世代の誕生といっても過言ではないほどの進化を遂げた。 とはいえ、ラダーフレームを軸とするプラットフォームや、リジッドアクスル式のサスペンション、そして、ボール&ナット式のステアリング機構といった信頼性の高いハードウェアは、ゲレンデヴァーゲン譲りのものを継続採用。群を抜く悪路走破性には少しの曇りも見られなかった。 また、ややモダンになったとはいうものの、ボクシーな機能第一のルックスもゲレンデヴァーゲンの時代から不変。フラットなパネルで構成されたボディ、すべて平面タイプとなったガラス類、フロントフェンダー上の無骨なウインカー、リアゲートに備わるスペアタイヤなど、Gクラス特有のアイコンが継承された。 つまりW463型となっても、“最善か無か”や“質実剛健”といったメルセデス・ベンツの信念はしっかり息づいていたのである ■プロがお墨つきを与えた機能美 2021年の今、改めてW463型の初代Gクラスに触れてみると、街乗りをメインに開発されたヤワなSUVはもちろんのこと、リアルオフローダーを名乗る他のクロスカントリー4WD車さえも軽く凌駕する、独自の“本物感”に圧倒される。それは、機能第一の軍用車両をバックボーンに持つ正統派だからにほかならない。 機能的な形状のドアハンドルを握り、タッチが少し重めのボタンを「カチッ」と音がするまで押すと、「ガチャ」という音がしてロックが外れドアが開く。続いて、運転席に乗り込んでドアを閉めると、今度は重い金庫の扉を閉じた時のように、「ガチャリ」という鈍い金属音が車内に響き渡る。ドアの開閉という何気ないアクションも、Gクラスの場合、重厚な儀式のように思えてくる。 走り始めても、そうした印象は変わらない。40年以上前に誕生したモデルとは思えないほどボディが実にしっかりとしていて、舗装の行き届いた現代の道を走る限り、「ミシリ」という音を立てる気配など一切ない。その道のプロが過酷な悪路を走り回っても音を上げぬよう、開発陣が「これでもか!」とばかりにボディを鍛え抜いている光景が目に浮かぶようだ。 足回りの印象も、洗練され尽くした現代のクルマとはひと味もふた味も異なる。路面の段差を乗り越えたり、舗装の荒れた道を走ったりすると、時折、ラダーフレームに支えられたボディが揺すられることがある。とはいえ乗り心地は良好で、いかにもラダーフレームを備えたリアルオフローダーらしい、ソフトでゆったりとした乗り味が特徴だ。また、ボール&ナット式のステアリング機構はある程度の重みがあり、ねっとりとしたフィーリングをドライバーに伝えてくる。これを古くさいと捉えるか否かだが、軽く回せるラック&ピニオン式にはない味わい深い操舵感は他に代えがたいものがある。 そうした古典的な味わいを残しつつも、随時アップデートが図られたエンジン&トランスミッションは力強い走りを味わわせてくれる。例えば、モデルサイクルの末期に投入された3リッターのクリーンディーゼルエンジン搭載車などは、最高出力244馬力、最大トルク600N・mを発生するだけあって、十分過ぎる速さを披露。変速ショックのない7速のオートマチックトランスミッションと相まって、車両重量が2500kgを超えるヘビー級の車体をグイグイ前へと押し出す。その重厚な加速フィールも、Gクラスの本物感を強める大きな要素となっている。 ちなみにGクラスは、2018年に最新世代へとフルモデルチェンジ。新型はラダーフレームがより強固となり、フロントサスペンションはダブルウィッシュボーン式へと変更され、ステアリング機構もラック&ピニオン式へと改められた。また、初代と酷似したルックスも、サイズがひと回り大きくなったことに伴い、ドアハンドル、スペアタイヤカバー、ヘッドライトウォッシャーノズルの3点を除き、すべてのパーツが刷新されている。 これほどの進化を遂げながら、型式名は従来モデルと同じW463型を継承。おまけにドイツ本国では今回の刷新をフルモデルチェンジとは呼ばず、“最新技術を導入したビッグマイナーチェンジ”と位置づけているという。W463型の初代Gクラスが、メルセデス・ベンツにとっていかに重要なモデルだったかがうかがえるエピソードだ。 1989年のターニングポイントを経て、芸能人やスポーツ選手、また実業家といったセレブたちから愛される存在となった初代Gクラス。彼らを魅了する要因は、このモデルにその道のプロが認めた、プロがお墨つきを与えた機能美が備わっているからにほかならない。それは強さの証であり、成功のシンボルなのだ。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

オープンカーのネガを先進技術で払拭したバブル期の傑作旗艦メルセデス・ベンツ「SL」(R129)

オープンカーのネガを先進技術で払拭したバブル期の傑作旗艦メルセデス・ベンツ「SL」(R129)

1989年のジュネーブモーターショーで、メルセデス・ベンツが1台のオープン2シーターモデルを披露した。それが、同ブランドが展開する最高峰のラグジュアリースポーツカー、「SL」の4代目となるR129型だ。車名のSLは、ドイツ語の“Sport Leicht(シュポルト・ライヒト)”、英語でいうところの“Sport Light(スポーツ・ライト)”の頭文字からとられたものであり、軽量なスポーツカーであることを意味している。 R129型の第一の魅力は、ロングノーズ&ショートデッキという後輪駆動スポーツカーの基本スタイルに、強いウエッジシェイプを組み合わせたエクステリアデザインだろう。これは、1975年から1999年にかけてメルセデスのデザイナーとして活躍し、後に同ブランドのデザイン担当重役をも務めたイタリア人デザイナー、ブルーノ・サッコによるもので、スポーティかつアグレッシブでありながら、高級車ブランドの旗艦らしいエレガントさも持ち合わせている。 ちなみにサッコは、シンプルな直線基調を採りながら飽きが来ず、それでいて存在感をもしっかり主張していた1980年代から’90年代にかけてのメルセデスのデザイン思想を創出した人物。彼の最高傑作は、メルセデスがコンパクトセダンのカテゴリーに初投入した「190E」と、今回採り上げたR129型といわれている。 そんなR129型SLは、メカニズムの先進性においても見どころ満載だった。例えば、ふたりの乗員の背後には、車体が大きな衝撃を受けたり、一定以上傾いたりした場合、瞬時に立ち上がるロールバーを内蔵。 また、ヘッドレストやシートベルトを一体化した専用シートの採用など、オープンカーのネガとされた安全性への対策を隅々にまで施した。 そうした徹底ぶりは、キャビンの快適性追求においても同様だ。R129型は、SLとして初めて電動格納式ソフトトップを採用したが、それとは別に、ソフトトップより遮音性に優れた着脱式ハードトップも装備。また、シートを始めとするインテリアの各部には、レザー、クロスともに上等なマテリアルをおごるなど、高級車ブランドであるメルセデスの面目躍如たる仕上げが施されていた。 ■名車に継承された心臓部と世界をリードした足回り R129型SLは、走りの性能においても注目すべき部分が多かった。土台となるプラットフォームは、W124型「ミディアムクラス」/「Eクラス」のホイールベースを短くしたもので、さらに各部に補強を施すことでオープンカーとは思えないほど強固なシャシーを作り上げていた。 上陸当初、R129型の日本仕様に用意されていたパワーユニットは、4973ccのV型8気筒DOHCエンジン。後に、メルセデスとポルシェのコラボによって誕生する名車「500E」/「E500」にも受け継がれるこの名機は、最高出力330馬力、最大トルク47.0kgf-mを発生し、スポーツカーにふさわしい駿足を見せつけた。 R129型は、後に5987ccのV型12気筒DOHCエンジン(395馬力)や、3199ccの直列6気筒DOHCエンジン(224馬力)などもラインナップに追加。さらに1998年には、環境性能を強化した新開発ユニットへスイッチするなど、ユーザーや時代のニーズに合わせた改良を繰り返した。 そんなR129型は、コンパクトセダンである190Eへの採用で先鞭をつけ、その性能の高さから、世界中のメーカーがこぞってフォローしたマルチリンク式リアサスペンションを搭載したことでも有名だ。この足回りは、大排気量エンジンが発する強大なパワーをも確実に路面へと伝える優秀さが目を見張った。 ■ドライバーの気分に合わせてドライブシーンを彩る 1989年のデビューから早30年余り。初期のR129型は、全長4470mm、全幅1810mm、全高1295mmと、肥大化の止まない現代のスポーツカーと比べれば、はるかにコンパクトなのが印象的だ。 特にワインディングロードをドライブすると、その凝縮感あるボディと秀逸な足回りとが相まって、よりコンパクトなクルマを運転しているかのような錯覚に陥る。長いボンネットの下に重いV8エンジンを積んでいるとは思えないほどフットワークは軽快で、ドライバーがハンドルを切ると素直に向きを変えてくれるのが気持ちいい。 一方、330馬力/47.0kgf-mを発生するV8エンジンは、現代の目で見ても十分パワフル。アクセルペダルを踏み込むと後輪が路面をしっかり蹴り、驚きの速さでコーナーを抜けていく。 現代のスポーツカーも顔負けの走りを披露するR129型SLだが、やはり本領を発揮するのは高速道路でのクルージングだろう。特に、ルーフを開け放ち、風を全身に浴びながらのドライブは、何物にも代えがたい心地良さ。速いペースで山道を走って良し、高速道路をゆったり流して良し。ドライバーの気分に合わせてドライブシーンを彩ってくれる。 バブル経済まっただ中の1989年にデビューしたR129型は、日本を始め世界中で人気を獲得。結局、2001年まで12年間に渡って生産されるロングセラーモデルとなった。当時のメルセデス車らしく、各部にコストがしっかりと掛けられ、オーバークオリティであることを一種の美点として掲げたR129型SL。その中身と実力を知れば知るほど、世界のマーケットで再評価されている理由が見えてくる。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

バウハウスの理念にも通じる デザインだけで選びたい近未来の名車アウディ「TTクーペ」(Type 8N)

バウハウスの理念にも通じる デザインだけで選びたい近未来の名車アウディ「TTクーペ」(Type 8N)

1995年9月に開かれたIAA(フランクフルトモーターショー)に、アウディは1台のコンセプトカーを出展する。円をモチーフにしたデザインされたそのモデルは、フロントマスクや前後タイヤを囲むフェンダー、ルーフ、そしてリア回りがきれいなアーチを描いており、まるでUFOのようなカタチをしていた。   会場でそのモデルを目の当たりにした人々は、美しいデザインに心を惹きつけられた。しかし彼らの多くは、そのままの姿での市販化は難しいだろうと高をくくっていたという。それほどまでに、当時のカーデザインの常識では考えられない挑戦的なフォルムをまとっていたからだ。 しかし1998年9月、アウディが発表したブランニューモデルを見た人々は驚いた。1995年のIAAでお披露目されたコンセプトカーが、ほぼそのままの姿で市販化されたからである。子細に眺めれば、確かにリアのサイドウインドウが追加されていたり、ドアミラーの形状が変わっていたりと、ディテールこそ微細な変更が加えられていたが、ルーフラインや全体のシルエット、そして前後のデザインなどは、3年前に人々の心を惹きつけた、あの美しいUFOの姿そのものだったのだ。 ■工業製品においても傑作を生んだバウハウス こうしてセンセーショナルなデビューを飾った初代「TTクーペ」のデザインには、同じドイツに根ざしたバウハウスの思想に通じるものがある。   バウハウスとは、第一次世界大戦後の1919年に、ドイツ中部にあるワイマール共和国に設立された美術学校のこと。1933年までの14年間に幅広いジャンルのデザイン教育が行われた。中でも興味深いのは、工芸や写真、美術といった芸術分野だけにとどまらず、大量生産を前提とした工業化社会と芸術との関係性についてもカバーしていたこと。その教育理念は、現代デザインの基礎を構築したといわれており、現在もなお、建築やプロダクトデザインの分野に多大な影響を与えている。   そんなバウハウスの掲げるデザイン哲学のひとつが「形態は機能に従う」だ。可能な限りムダをそぎ落としたピュアデザインは、アール・ヌーヴォーの大流行に端を発するそれまでの装飾過剰なデザインに一石を投じた。そして、バウハウスのシンプルかつ機能的な造形手法は、家具、食器、フォントといった日常生活を彩る工業製品の分野において、さまざまな傑作を生み出していく。 ■バング&オルフセンとの関係も初代TTクーペから そんなバウハウスの歴史や思想を踏まえた上で初代TTクーペを眺めると、各部の設計やデザインにムダがないことに感心させられる。コンパクトなボディには似つかわしくない、大きく膨らんだ前後フェンダーは、スポーツカーらしく左右に張り出したタイヤを覆うためのものであるし、美しいアーチを描くルーフラインも、実はフロントシートに座る乗員の頭上空間を確保するという副次的な機能も有している。   またコックピットは、基調色である黒と、金属パーツによる鈍い光沢が絶妙なコントラストを描いているが、シフトレバーやエア吹き出し口の周囲などに多用されるこれら金属パーツはすべて、贅沢にも削り出しのアルミニウム材となる。ちなみに、その開発をサポートしたのは、デンマークのプレミアムオーディオブランドであるバング&オルフセン社だ。同社は今、アウディの上級モデルに搭載される車載オーディオシステムの開発を担うが、両社の関係は、初代TTクーペに使われたアルミ材の加工技術について、アウディが同社に協力を仰いだことが始まりとされている。 そんな初代TTクーペのルックスは、ボディに多くのプレスラインを刻み、派手で仰々しいフロントマスクを構えるなど、昨今の華美なカーデザインを見慣れた眼には非常に新鮮に映る。余計なものをそぎ落とし、機能を第一とした引き算の美学の上に成り立つそのデザインには、バウハウスの思想に通じるものがある。 ■乗用車ベースとは思えぬスポーツカーらしい鋭さ シンプルでありながら印象的という秀逸なデザインで多くの人を惹きつけた初代TTクーペだが、実はクルマづくりの面においても、世界中の自動車関係者たちに多大なる影響を与えた。   初代TTクーペはオリジナルのデザインを与えられたスポーツカーだが、車体の構造を始めとする基本的なメカニズムは、コンパクトハッチバックのアウディ「A3」や、同じグループのフォルクスワーゲン「ゴルフ」をベースとした。今でこそ、プラットフォームの共用化で多彩なモデルバリエーションを展開することは決して珍しいことではないが、初代TTクーペのデビュー当時は、スポーツカーは専用に仕立てたプラットフォームの上に成り立つもの、との考え方が一般的だった。そんな中にあって、乗用車とメカを共有し、スタイリッシュなスポーツクーペを生み出すという手法は画期的だったのだ。   もちろん、プラットフォームを共用するとはいえ、初代TTクーペはA3や4代目ゴルフに対してホイールベースが90mm縮められていた。そこに、ロー&ワイドというスポーツカーらしいスタイルと、低い車高による重心の低さが相まって、ハンドリングフィールは実にシャープ、かつダイレクト感にあふれるものだった。   そんな基礎体力の充実した車体が秘めるポテンシャルをフルに引き出すべく、初代TTクーペはエンジンも強化されていた。デビュー当初から設定された1.8リッター4気筒ターボは、ホットハッチの雄である「ゴルフGTI」用の150馬力/21.4kgf-mに対して、前輪駆動モデルで180馬力/24.0kgf-mを、4輪駆動の“クワトロ”仕様では225馬力/28.6kgf-mを発生。ほかにも、V6エンジン搭載モデルや、4気筒ハイパワーエンジン仕様も設定されるなど、リアルスポーツカーも顔負けの動力性能が与えられた。   その走りの鋭さは、現代の目で見ても印象的だ。アクセルペダルを深く踏み込めば、コンパクトな車体は弾丸が銃口から弾き出されるかのように強烈に加速する。スポーツカーらしいセッティングが施されたサスペンションの影響で、乗り心地は若干硬めに感じられるが、その分、コーナーが連続する峠道なども軽快に駆け抜ける。 もちろん、洗練された現代のスポーツカーと比べれば、荒削りな面も多々見受けられる。ハンドルやシフトレバーの操作フィールは剛性感があるものの、その分、重めで古典的。しかし、ムダをそぎ落としたピュアなデザインと同様、現代のスポーツカーが失ってしまった“操る楽しさ”を存分に味わわせてくれる。世界的に有名な往年のレース“ツーリスト・トロフィー”の頭文字からとられたネーミングは伊達ではない。   デザインで世界中の人々にインパクトを与え、クルマづくりの手法で世界の自動車関係者たちに影響を与えた初代TTクーペ。そんな一時代を築いた名車も、SUV人気の盛り上がりやクーペ人気の低迷、そして、避けることが難しい電動化などの荒波を受け、3代目となる現行型を持ってその歴史に終止符を打つことが決定している。アウディをプレミアムカーブランドという地位へと押し上げた立役者の評価は、この先、ますます高まることだろう。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

レトロオープンの人気が再燃中!ボンドカーとして華々しくデビューしたBMW「Z8」

レトロオープンの人気が再燃中!ボンドカーとして華々しくデビューしたBMW「Z8」

作家イアン・フレミングの小説を原作とする名画『007』シリーズ。イギリス秘密情報部(MI6)に所属する主人公のジェームズ・ボンドが活躍する不朽のスパイアクション映画だ。 そんな同シリーズは、以前から巧みなプロダクト・プレイスメント(作品中に実在する商品や企業を登場させる広告手法)を用いていることでも有名だ。中でも注目度が高いのが、ボンドの愛車として活躍し、激しいカーチェイスを繰り広げる“ボンドカー”だろう。 3作目の『007/ゴールドフィンガー』でシリーズの人気を不動のものとしたアストンマーチン「DB5」や、『007は二度死ぬ』で特別仕立てのオープン仕様が登場したトヨタ「2000GT」、そして『007/私を愛したスパイ』で海へとダイブし、潜水艇仕様へと変身したロータス「エスプリS1」など、歴代ボンドカーはいつの時代も観る者はワクワクさせてきた。 ここに採り上げるBMW「Z8」も、1999年公開の『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』においてボンドカーに選ばれた1台で、ボンドカー仕様は、遠隔操作装置や小型ミサイルなどを搭載していた。劇中、敵のヘリコプターから吊された大型チェーンソーで車体を真っ二つにされるという“悲劇”を味わったものの、翌年の正式デビューへ向け、格好のアピールとなったのである。 ■生産できたのは1日当たり10台ほど 2000年のデビューとは思えないほど、Z8のルックスはクラシカルだ。それもそのはず、Z8は1956年から1959年まで生産されたBMWの往年の名車「507」にインスパイアされたモデルであり、全体のフォルムやディテールに、ルーツとなった507へのオマージュが散りばめられていたからだ。 例えば、長いフロントノーズと、それとは対照的に短いフロントオーバーハング、そして、フロントタイヤの後方に位置し、サイドビューを引き締めるエアアウトレットなどは、507を想起させるデザイン処理。 一方、鉄板がむき出しだった507のそれを再現すべく、インテリアはダッシュボード全面に樹脂製のパネルが配される。 ちなみにこれらのデザインは、後にアストンマーチン「DB9」や「ヴァンテージ」のデザインを手掛け、その後、自らの名を冠した電動車ブランドをアメリカで立ち上げたヘンリック・フィスカーが手掛けたものである。 そんなクラシカルな内外装デザインとは対照的に、メカニズムは当時の先端を行くものだった。Z8は少量生産のスペシャルモデルということもあり、一般的なモノコックシャーシではなく、専用のスペースフレームシャーシを採用していたが、こちらは贅沢なアルミ製を採用。 また、同じくアルミ製となるボディパネルはプレス合金で成型されたもので、決して場当たり的に作られたクルマでないことがうかがえた。しかしその分、組み立てと仕上げにはかなりの手作業が必要とされ、生産可能台数は1日当たり10台ほどと限られていた。 Z8専用のアルミスペースフレームシャーシには、フロントにマクファーソンストラット式、リアにマルチリンク式という、当時としては最先端のサスペンションを装着。またパワーユニットには、4941ccの自然吸気V8エンジンが搭載された。 実はこのエンジンは、E39型「M5」と同じものだった。BMWのモータースポーツ活動や高性能モデルの開発を担う“BMW M”社が開発を担当したユニットで、最高出力は406馬力/6600回転、最大トルクは51.0kgf-m/3800回転をたたき出した。ちなみにBMWの公表値によると、静止状態から96km/hまで4.7秒で加速し、同160km/hまでは11秒でクリア。さらに最高速度は248km/hをマークしたという。 ■BMW車らしく運転姿勢はピタリと決まる デビューから20年以上が経過した今、改めてZ8と対面すると、その特別感に圧倒される。エクステリアは現代の目で見ても決して古くはなく、507へのオマージュが散りばめられたディテールも、今となってはオリジナティ豊かに感じられる。 中でも圧巻はリアからの眺め。緩やかにカーブを描くショルダーラインがそのままきれいにリアエンドへと連なって収斂し、そこに申し訳程度の細いコンビネーションランプが配される。シンプルでありながら確固たる個性を放つリアスタイルは、本当に美しい。かつては大柄なクルマだと思っていたが、全長は4400mm、全幅は1830mm、全高は1317mmと、肥大した現代の高性能車と比べると非常にコンパクト。その分、ルックスからは凝縮感が感じられる。 一方、ドアを開けてインテリアを眺めると、見事なまでに懐古調のデザインに統一されていることに驚く。スピードメーターやエンジン回転計はコックピット中央部にレイアウトされ、ハンドルはエアバッグを組み込んでいるとは思えないほどクラシカルなスポークデザインが目を惹く。また、シート生地を縫い合わせるステッチもひとつひとつが上等。大半がZ8専用品となるスイッチ類と相まって、高級かつスペシャルな雰囲気が充満している。 ドライバーズシートに収まり、センターコンソールにあるボタンを押して電動開閉式のソフトトップを開ける。20秒ほどで全開となる屋根が開くと、抜群の開放感が心地いい。また、ドライビングポジションがピタリと決まるのは、いかにもBMW車らしい美点だ。デザイン優先の一部のスーパーカーで見られるように、ドライバーに無理な姿勢を強いてくることがない。 エンジンを掛けてアクセルペダルを踏み込むと、さすがはM社謹製の強心臓、Z8は野太いエキゾーストノートを奏でながら力強く加速する。ゆっくり走っていてもコックピットは刺激的な快音に包まれるため、ドライバーはついついアクセルペダルを踏み込んでしまう。 M5譲りのV8エンジンには、吸排気系にそれぞれ可変バルブタイミング機構の“ダブルVANOS”が搭載されるが、その恩恵によってZ8は低回転域でも力強く、また高回転域では弾けるようにパワーを絞り出す。しかも、センターコンソールに備わる「SPORT」ボタンを押すと、エンジン制御がガラリと一変。V8エンジンは一段と快音となり、アクセルレスポンスも驚くほどアップするのだ。 ワインディングロードへ持ち込んでも、Z8の走りのキレは失われない。鼻面は長いものも、それを右へ左へと振って軽やかにコーナーを駆け抜け、ドライバーを高揚させる。それは、高剛性シャーシとしっかり動くサスペンション、そして路面状況を確実に伝えてくるステアリング系による賜物だろう。 ■二度と誕生することのない貴重な存在 野生馬のごとき荒々しい加速と、洗練されたコーナリングフィールを兼備したZ8は、2003年の生産終了時までに合計5703台が生産された。ルーツとなった507の252台を上回ったとはいえ、ビジネス面では決して成功したモデルとはいいがたい。しかし今、Z8はその希少性もあってか、一部のスーパーカーと同様、非常に高値で取引される人気モデルとなっている。時の流れとは実に不思議なものである。 Z8はハンドメイドによる工程が多かったことから、当時BMWは1台生産するごとに多額の赤字を垂れ流していたともいわれる。生産性や利益効率への見方がシビアになった現代の自動車業界においては、二度とこのような特別なモデルが誕生することはないだろう。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

あのフェラーリも意識した!?日本初量産スーパースポーツへの挑戦「ホンダ<NSX>」

軽自動車やミニバン、SUVなど、イマドキの売れ筋車種を多数ラインナップし、巨人・トヨタに続く日本第2位の自動車ブランドへと成長を遂げたホンダ。そんな優等生の一面とは対照的に、ホンダはその歴史において、しばしば私たちに、熱い挑戦者魂を見せつけてきた。 その一例が、モータースポーツへの飽くなきチャレンジだ。バイクメーカーとして産声を上げたばかりであり、まだ地方の中小企業に過ぎなかった1954年には、2輪ロードレース世界選手権・マン島TTレースへの参戦を宣言(1959年に初出場)。また、1963年に軽トラック「T360」で待望の4輪車進出を果たすと、翌1964年から4輪レースの最高峰・F1グランプリへの参戦を開始し、その年の最終戦メキシコGPで記念すべき初優勝を果たしている。 一方ホンダは、環境保護や低公害車の開発にも注力してきた。有名なところでは、1972年に“CVCCエンジン”を実用化し、当時最も厳しいとされていたアメリカの排出ガス規制を世界で初めてクリア。その後もEV(電気自動車)やハイブリッドカーといった環境に優しいエコカーを開発し、続々と世に送り出している。 「挑戦した後の失敗より、何もしないことを恐れろ」とは、ホンダの創業者であり、偉大なる技術者でもあった本田宗一郎の言葉だ。今のホンダはスマートに振る舞いながらも、その核心には宗一郎の情熱が鮮明に息づいているのである。 ■世界初のオールアルミモノコックボディに挑む そんなホンダの市販車において、彼らの熱き挑戦者魂が結実した最高傑作が、1989年2月のシカゴモーターショーでお披露目された「NS-X」だ。 ホンダは1980年代前半から、エンジンをキャビンの背後に搭載し、後輪を駆動するミッドシップカーの基礎研究をスタート。その後、本格的な2シータースポーツカーとして開発が本格化し、バブル華やかなりしこの年に、日本初の量産スーパースポーツとして産声を上げた。ちなみに車名は、新しいスポーツカーであることを示す“ニュー・スポーツカー”に、未知の領域を指すXをプラスした“New Sports Car X”の略である。 日本での発売は翌1990年9月にスタート。車名は新たに「NSX」とされた。そんな初代“NA型”における最大のチャレンジといえるのが、世界初となるオールアルミ製モノコックボディの実用化だ。その目的は、車体の軽量化に尽きる。当時のスポーツカーは、快適性や安全性が犠牲にされがちな乗り物だったが、開発陣は当初から、パワーウインドウやオートエアコン、トラクションコントロール、ABSといった、時代の要請にマッチした快適/安全装備を備えようと判断。その対価として、どうしてもかさんでしまう車重を少しでも軽減しようと、モノコックボディの素材に着目した。 とはいえ、鉄と比べてアルミは成型や溶接に高度な技術が求められることから、専用工場の設置が必要に。また、特殊な組み立てとなることから、工程の大半は手作業で進められた。 そうした課題を挑戦者魂で乗り越えカタチにしたのが、NSXのオールアルミ製モノコックボディなのだ。 ■広いラゲッジスペースは空力追求の副産物だった NA型の初期モデルに搭載された3リッターV型6気筒DOHCエンジンには、ホンダ独自の機構“VTEC(バリアブル・バルブタイミング・アンド・リフト・エレクトロニック・コントロールシステム)”が搭載された。これは、1本のカムシャフトに低速用と高速用の“ヤマ”を設け、それらを走行中、適宜、切り替えることで、低速トルクと高回転域でのパワーを両立する仕組み。その結果、NSXは、スーパースポーツカーらしい弾けるような胸のすくパワーフィールと、低速域での運転のしやすさを両立した。 NSXの開発に当たってホンダがベンチマークとしたのは、F1におけるライバルでもあったフェラーリの「328」。328は3.2リッターのV型8気筒エンジンを搭載する、当時のフェラーリで最もコンパクトなモデルだった。そんなターゲットを凌駕すべく、ホンダはアイルトン・セナや中嶋悟といった、ホンダ・エンジンを搭載するF1マシンで戦っていたレーシングドライバーたちを開発ドライバーに指名。彼らの厳しい指摘を元に、市販車開発の聖地ともいわれるドイツ・ニュルブルクリンクなどでの過酷なテストを繰り返した。 そうすることで、世界でも一級の走行性能を獲得する一方、NSXはその実用性の高さにおいてもライバルを圧倒した。上記した快適/安全装備の充実はもちろんのこと、車体の後端部分に広いラゲッジスペースを備え、ゴルフバッグの積載さえも可能にしたのだ。 この大きなラゲッジスペースに対し、一部から「スーパースポーツカーが実用性を気にするなんて」と揶揄する声も挙がった。しかしこれ、実は車体の空力性能を高めるべくリアのオーバーハングを伸ばしたことによる副産物だったのだ。実際、走らせてみても、リアの重さを感じることなど一切なく、ミッドシップスポーツカーならではの、シャープなハンドリングを堪能できた。 こうして世に送り出されたNSXは、毎日乗れる、誰にでも扱いやすいスーパースポーツカーとして高い評価を獲得。それを意識したフェラーリが、それ以降、実用性や運転のしやすさに着目した開発を行ってきたことは興味深い。 ちなみに初期のNA型は、本田宗一郎が栃木研究所にあるテストコースで自らその完成度を確かめた、最後の市販車になったという。宗一郎の熱き挑戦者魂が生んだファイナルモデル。それが初代NSXなのである。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

“跳ね馬”の強心臓を押し込んだイタリアンラグジュアリーの集合体「ランチア<テーマ 8・32>」

「ストラトス」や「デルタHFインテグラーレ」といった名車で、かつてモータースポーツシーンを席巻したランチア。そのせいか、イタリア・トリノを本拠地とする1906年創業の名門は、走りが研ぎ澄まされたスポーツカーを得意とするブランドと思われがちだが、実はさにあらず。イタリア元首の公用車に使われていたことからも分かる通り、本来は高級車作りを十八番としている。   ランチアは戦前から、他に先駆けて新たなテクノロジーを次々と導入。現代のクルマでは一般的となったモノコックボディや独立式サスペンション、V型エンジンなどを世界で初めて採用したほか、量産車に風洞実験を経て編み出したボディデザインを導入するなど、さまざまな分野で他の一歩先を行くブランドだった。   そうしたクルマ作りの手法もあってか、ランチアは生産のムダを省いたり、コストダウンを徹底したりといった経営の効率化が苦手だったようで、1955年に一度、倒産を経験。その後、経営者交代により新たなスタートを切るものの経営状況は上向かず、1969年、同じイタリアの巨大自動車企業であるフィアットグループの傘下に収まる。 V型8気筒の32バルブエンジンに由来する「テーマ8・32」が誕生 斬新な発想と素晴らしいテクノロジーを有しながら、100%自社オリジナルの新車を世に出すことが難しい状況となったランチア。そんな暗黒時代ともいうべき最中の1984年に誕生した1台が、端正なスタイルが魅力のランチア「テーマ」だ。プラットフォームを始めとする主要コンポーネントを、フィアット「クロマ」、アルファロメオ「164」、サーブ「9000」と共有する“ティーポ4(クアトロ)プロジェクト”から誕生したセダン&ステーションワゴンで、カーデザイン界の巨匠であるジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた空力性能に優れる直線基調のフォルムで、ヨーロッパを中心に高い評価を獲得。ランチアブランドの復興にひと役買う。   そんな成功作であるテーマセダンをベースとし、1988年に同ラインナップに加わったのが、今回採り上げる「テーマ8・32」だ。8・32というネーミングは、ボンネット下に搭載されるV型8気筒の32バルブエンジンに由来。エンジン製造を手掛けたのはなんと同じフィアット傘下に属すフェラーリで、人気のスーパーカー「308クアトロヴァルヴォーレ」に搭載されていた3ℓのV型8気筒エンジンを、高級4ドアセダンの走りにふさわしい味つけへとチューニングし直した上で搭載した。 「テーマ8・32」は、デビュー当初の初期型で最高出力215馬力、最大トルク29.0kgf-mを発生。1991年登場の後期型ではセッティング変更によって200馬力/26.8kgf-mへとスペックダウンしたものの、それでも最高速は240km/h、静止状態から100km/hまでの所要時間は6.8秒という駿足を誇った。   俗に“テーマフェラーリ”とも呼ばれた「テーマ8・32」でスペシャルだったのは、強心臓のフェラーリ製エンジンだけではない。エクステリアでは、星形のホイールや格子状のフロントグリルなど、フェラーリの各モデルを想起させるデザインモチーフを採用。また、トランクリッドには、ワイパーレバーの先に付いたスイッチで動く電動格納式のリアウイングも備えられた。 一方インテリアでは、ダッシュボードの前面やドアトリムの上端に、分厚く美しいあめ色の輝きを放つアフリカンローズウッド製のデコレーションパネルがレイアウト。加えて、シートやドアトリムだけにとどまらずダッシュボード全体までもが、上質な本革で覆われていた。 実はこの革、1912年に創業したイタリアのラグジュアリー家具ブランド、ポルトローナ・フラウ社が手掛けたもの。今でこそ、フェラーリやマセラティといったイタリア製高級車の内装材としてしばしば目にするフラウレザーだが、量産車において初めて採用されたのは、実は「テーマ8・32」だったのだ。 クセは強いが乗りこなしたくなるアクセルフィール 当時から、スーパーカー界では神格化されていたフェラーリや、100年以上の歴史を誇る王室御用達のポルトローナ・フラウなど、イタリアを代表する高級ブランドとのコラボレーションにより、端正な4ドアセダンから特別仕立ての高級サルーンへと昇華してみせた「テーマ8・32」。2020年の今、改めてこのクルマに触れてみると、現代のクルマでは絶対に味わえない強いインパクトに心を揺さぶられる。   現代の評価軸で見るならば、明らかに高回転型のフェラーリ製V8エンジンは回転が上昇するまでが少々かったるく、技術が進歩した今にあっては、ヘタなコンパクトカーにも速さで見劣りしそうだ。また、ヘビー級のV8エンジンを搭載する前輪駆動車だけあって車体のフロント側が明らかに重々しく、コーナーリング時の振る舞いには少々慣れが必要。想像以上にクセの強いクルマである。 しかし、エンジン回転が上昇していくに連れて滑らかさと力強さが格段に増していくパワーフィールや、高回転域まで回した際に耳へと届く吸排気音はまさに鳥肌モノ。思わず病みつきになり、必要もないのにアクセルペダルを深く踏み込んでいる自分がいることに気づく。また、コーナーリング時のクセを先読みしてハンドルを上手に切ってやれば、コーナーが続く峠道でも車体はスムーズに向きを変え、結構ハイペースで駆け抜けられる。   それでいて街中での乗り心地はソフトだから、日常的な移動は快適至極。重く大きいV8エンジンを搭載しつつも、こうした身のこなしを実現できた背景には、長きに渡って高級車を手掛けてきたエンジニアたちの、手練の技が息づいているのだろう。 現代に息づくフェラーリ謹製V8エンジンを積んだ名車 「テーマ8・32」が誕生した1988年から、早30年以上の月日が流れた。その間、イタリア製高級セダンの中には、マセラティ「クアトロポルテ」のようにフェラーリ製エンジンを搭載するモデルが登場。今も根強い人気を誇っている。   「テーマ8・32」はいわばそのパイオニアだが、ボンネットの下に潜むフェラーリ謹製V8エンジンは、排出ガス規制といった足かせなど一切ない古き良き時代の代物とあって、官能性という点においては現代のモデルを完全に凌駕している。   新車開発の自由を奪われた暗黒の時代にありながら、当時のランチアの匠人たちは反骨精神を武器に、何物にも代えがたい希有な名車をこの世に送り出したのだ。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

先進のテクノロジーを伝統のフォルムに包み隠した“端境期”の革新的サルーン「ジャガー XJ」(X350)

先進のテクノロジーを伝統のフォルムに包み隠した“端境期”の革新的サルーン「ジャガー XJ」(X350)

ジャガーといえば、イギリスを代表する高級車ブランドだ。それだけに、そのネーミングを耳にして思い浮かべるのは、格式や伝統、はたまた、アンダーステートメント(控えめな様)といったキーワードではないだろうか? 確かにジャガー(と同じグループに属すランドローバー)は、エリザベス女王、エジンバラ公、チャールズ皇太子のそれぞれから“ロイヤルワラント”の称号を授かる唯一の自動車メーカーであり、英国王室のみならず、イギリス首相を始めとするVIPたちも公用車として路用する格式あるブランドだ。また、ジャガーがこの世に誕生したのは1935年のことだが、オートバイのサイドカーを手掛けていた前身のスワロー・サイドカー・カンパニー(1922年創業)を含めれば、間もなく創業100周年を迎える老舗ブランドでもある。つまり、ジャガーのバックグラウンドには、イギリスの格式と伝統が息づいているのだ。 だからといって、アンダーステートメントの退屈なブランドでないところがジャガーの面白いところ。例えばジャガーは、第二次世界大戦後間もない1948年に、優れた性能と洒落たデザインを兼備した2シータースポーツカー「XK120」を発表し、世界中で高い評価を獲得。さらに、1951年のル・マン24時間耐久レースでの優勝を皮切りに、10年間で実に5 度のル・マン制覇を成し遂げるなど、モータースポーツの世界においても確固たる地位を築いてみせた。このように、クルマづくりにおいてもレース界においても、黎明期から挑戦を繰り返してきたブランドがジャガーなのである。 完成度の高いスポーツカーやレースでの活躍によって得た名声を武器に、ジャガーが1968年に発表したのがラージサルーンの「XJ」だ。英国内外のライバルにも劣らない優れた性能と、比較的リーズナブルなプライスを実現したXJは、瞬く間に高い人気を獲得。その結果ジャガーは、高級かつスポーティという独自のブランドイメージ構築に成功する。 以降、フラッグシップサルーンとしてジャガーのラインナップに君臨することになるXJ。その半世紀以上に及ぶ歴史の中で最もチャレンジングだったモデルといえば、2002年に誕生した“X350”だろう。 丸形4灯ヘッドランプや低くスマートなシルエットなど、X350のルックスは初代から継承される“XJのアイコン”を踏襲していたし、ウッドパネルを広範囲にあしらい、トランスミッションのセレクターに伝統の“Jゲート”を採用したインテリアなども、いかにもジャガーらしいものだった。そのため「X350はチャレンジングなモデルだった」といっても、ピンと来ない人も多いことだろう。 しかしX350の真価は、パッと見では分からないその骨格に隠されていた。技術的に製品化が困難な、アルミ合金製のモノコックボディを採用していたのである。 アルミ素材を自動車用部品として使うことの難しさは、主要素材である鉄と比べ、溶接が困難という点に尽きる。この難題に対して、ジャガーは航空機などで用いられていた“リベット接着”という技術を導入。さらに、アルミ製モノコックボディは万一の際の修理が困難だが、壊れた箇所を切り取って新しいパーツをリベット止めするという新たな手法を編み出すなど、さまざまな課題を解決してみせたのだ。ここ日本でも、当時のインポーターであったジャガー・ジャパンが、X350導入に併せて専用の修理センターを設置。アルミ製モノコックボディの導入に向け、インフラ面においても挑戦を繰り返した。 その結果、X350の骨格は、従来モデルに対して約4割も軽量に仕上がった。車重だけをみれば従来モデルとの違いはわずかだが、全長5090mm、全幅1900mm、全高1545mmとボディサイズがひと回り大きくなり、各種安全&快適装備がはるかに充実していたことを考えると、その効果は相当大きかったとみて間違いない。 さらに、アルミモノコックボディの採用で剛性が60%以上もアップしたボディが、乗り味の向上に効いていた。強固な骨格と精緻に動くサスペンションが路面からの衝撃を巧みにいなし、X350はまるで絨毯の上を行くかのようにフラットな車体姿勢をキープし続けたのだ。それは現代の目で見ても非常に洗練されたもので、まるで野生動物のジャガーの足下を支える肉球が、X350のサスペンションにも備わっているかのようであった。 また、軽く仕上がったボディの効果で、車体の大きさをドライバーが感じないというのも、X350も特徴。コーナーが続くワインディングでもヒラリヒラリと軽快に駆け抜けていくのが印象的だった。こうしたフィーリングは、比較的軽量なV6エンジン搭載車から、スーパーチャージャーで過給したハイパワーエンジンと締め上げられた足とを組み合わせたスポーティグレードまで統一されていたことから、強固なオールアルミ製モノコックボディ(と出来のいいサスペンション)の効果のほどがうかがえる。 ジャガーの親会社がフォードからインドのタタ・モーターズへと変わる激動の時代を生きたX350は、機械的に優れた魅力を備えていたにもかかわらず、ビジネス的には成功を収めることはできなかった。そして2010年には、後継モデルである“X351”へとバトンタッチし、フラッグシップサルーンとしての役目を終えている。しかし、X350で初めてトライされたアルミ製モノコックボディの発展版がX351にも採用されたことからも、X350の挑戦は決してムダではなかったことは明らかだ。 その後ジャガーは、2019年にX351の生産を終了。間もなく登場するであろう次期XJは、ピュアEV(電気自動車)になることがアナウンスされている。創業当時から挑戦を繰り返すことで確固たるブランドイメージを築き上げたジャガーが、今度はピュアEVのXJで新たな名声を獲得しようとしている。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

最後の自然吸気「ストレート6」を積む 切れ味鋭いピュアスポーツクーペ<BMW「M3」(E46)>

最後の自然吸気「ストレート6」を積む 切れ味鋭いピュアスポーツクーペ<BMW「M3」(E46)>

突然だが、BMWと聞いてどんなことを思い浮かべるだろう? 高級車、高性能セダン、はたまた昨今人気のSUV…と、その答えは十人十色だろうが、BMWマニアやクルマ好きの中には “直列6気筒エンジン“を思い浮かべる人も多いのではないか? “直6”や“ストレート6”とも呼ばれる直列6気筒エンジンは、BMW車を語る上で外せない存在だ。同社が直6を初めて手掛けたのは1933年のことで、BMWにとって初の自社開発オリジナルモデルとなる「303」に、2リッターの直列6気筒エンジンが搭載された。ちなみにこの303、直6と並ぶBMWの象徴であるフロントの“キドニーグリル(Kidney=腎臓)”を初めて採用したモデルでもあり、まさに記念碑的な1台といえる。 そして第二次世界大戦後、他社が大型セダン向けにV型8気筒エンジンの開発に舵を切る中で、BMWはそれまでと同様、直6の開発を推進。新しいフラッグシップセダンに搭載された2.5リッターの直列6気筒エンジンは市場で高い評価を得る。以降もBMWは、ストレート6開発の手を緩めることなく、現在に至るまで数々の名機を世に送り出してきた。 しかし、他メーカーも同様の構造・機構を持つエンジンを開発・製品化してきたにもかかわらず、なぜBMWだけ評価が抜きん出ているのか? その秘密は、BMWのストレート6が、格別な回転フィールを備えているからにほかならない。直列6気筒エンジンというのは、理論上、慣性力に起因する振動などが発生しない“完全バランス”の上に成り立つユニットだが、特にBMWのそれは、どこまでも回りそうなくらいスムーズな回転上昇と、優れた静粛性で他社を圧倒した。そのシルクのように滑らかな回転フィールは絶品で、人々は称賛の意味も込め“シルキーシックス”と呼んできた。 そんなBMWの直6を語る上で、どうしても外せない1台がある。それが、名機を搭載した3代目(E46型)の「M3」だ。 M3の初代(E30型)は、市販車をベースとするマシンで争われるツーリングカーレースへ参戦すべく、スポーツセダンの「3シリーズ」をべースに誕生。以降、現在に至るまで、M3は一貫して同社のモータースポーツ部門である“BMW M”社が開発を担うなど、BMWのレースフィールドでの活躍と深い関係にある。 そんな由緒あるM3の歴代モデルの中で、今回、E46にフォーカスした理由は、このモデルに搭載される直列6気筒エンジン“S54B32”の存在にほかならない。実はこのユニットは、現時点において、“BMW最後の”自然吸気式ストレート6なのである。 M3に直列6気筒エンジンが搭載されたのは、2代目となる“E36型”から。デビュー当初、2990ccだったE36のストレート6は、後期モデルで3201ccへと排気量を拡大、さらに、E46への進化に際し、3246ccとなっている。このS54B32ユニットは、吸排気系のバルブタイミングをコントロールするBMW独自の“ダブルVANOS”や、エンジン内部の摩擦抵抗の徹底的な軽減など、F1参戦で培った技術を余すところなく投入することで、最高出力343馬力、最大トルク37.2kgf-mを発生。しかも、最高出力の発生回転数がレッドゾーンぎりぎりの7900回転という超高速型のユニットだった。 実際、ドライブしてみると、このストレート6はパワーの出方とレスポンスの良さが強烈で、レッドゾーンが始まる8000回転まで、まさによどみなくパワーが盛り上がり続ける印象。特に、高回転域におけるエンジンの存在感は圧倒的で、野太いエキゾーストノートを奏でながらM3をハイスピード領域まで誘っていく。 ターボチャージャーで過給したり、モーターでアシストしたりした最新のエンジンは、確かに力強くて速く、それでいて街中などでもあっけないほど乗りやすい。これは、燃費や運転のしやすさなどを考慮した結果、低~中回転域での力強さを重視したセッティングになっているためだ。 しかしその分、高回転域ではパワーの頭打ちを感じることが少なくないし、過給器やモーターによる“ドーピング”のせいか、時にパワーの出方が不自然に感じることもある。現在、BMWが展開する直列6気筒ガソリンエンジンも、ターボで過給されたユニットだ。もちろん、ライバルの心臓部と比べれば格段にスムーズかつ力強いのだが、回せば回すほどパワーが湧き出る印象のS54B32と比べたら、官能性でどうしても見劣りしてしまう。 一方、S54B32という名機が積まれたE46のボディも、随所にこだわりが感じられる仕立てだった。実は、E46は前身のE36に対し、車重が100kg以上も重くなっていた。E30の生い立ちを知り、E36の軽快なフットワークを評価していた口さがない一部のカーマニアたちは、重くなったE46を見て「M3は終わった」とさえ揶揄したほどだ。 しかし、歴代M3の開発を担うBMW M社には、多少重くなってでも追求したいE46の開発理念があった。それは、追い上げ激しいライバルはもちろんのこと、ひとクラス上のスポーツカーをも凌駕する目覚ましい走行性能の実現だ。そのために開発陣は、E36からE46への進化に際し、ボディ剛性を引き上げ、車体の耐久性を高め、足回りをしっかり固めるなど、走りを司る“基本のキ”を徹底的に磨き込んだのだ。 強固なボディと足回りを手に入れ、重量アップのネガも強力かつ官能的なS54B32で補ったE46型M3は、超高性能スポーツクーペとして世界的に高評価を獲得。さらに、2003年に登場したハイパフォーマンス仕様「CSL」では、C=クーペ、S=スポーツ、L=ライトウエイトの頭文字からとられたネーミングからも明らかなように、カーボンファイバー製のルーフやドアトリムを採用した上に、多くの快適装備をはぎ取ることで軽量化を徹底。そこに、360馬力にまでパワーアップされたストレート6を組み合わせることで、市販車開発の聖地とされるドイツ・ニュルブルクリンクの北コースにおいて、7分50秒という当時の最速タイムをマークしてみせた。 このように、官能的な走行フィールはもちろん、絶対的な速さも身につけたE46のM3には、省燃費や環境への配慮を重視するあまり現代のクルマやエンジンが失ってしまったドラマが息づいている。そして、その走りの核となるBMW謹製ストレート6は、BMW=“バイエリッシュ・モトレーン・ヴェルケ(バイエルンのエンジン工場)”の意地と情熱の結晶といえるだろう。 TEXT/アップ・ヴィレッジ

“空冷ポルシェ”の最後を飾ったスポーツカーファン永遠の憧れポルシェ「911」(Type993)

“空冷ポルシェ”の最後を飾ったスポーツカーファン永遠の憧れポルシェ「911」(Type993)

誕生以来、半世紀以上の長きに渡り、世界中のスポーツカーファンを魅了し続ける名車がある。それが、ドイツの名門・ポルシェのアイコンともいうべき「911」だ。 ポルシェは1931年、“ビートル”の愛称で親しまれたフォルクスワーゲン「タイプI」を設計したフェルディナント・ポルシェが設立。当初は、設計とエンジニアリングを手掛ける小さな企業だったが、1948年、フェルディナントの息子であるフェリーが、同社初の市販車「356」を開発し、スポーツカーメーカーとしての第一歩を記す。 その後、フェルディナントは1951年に逝去したものの、フェリーは356を進化させるなど事業を継続。北米マーケットで成功を収めるなど、356は最終的に約7万7000台のセールスを記録する。 処女作からスポーツカービジネスで成功を収めたポルシェが、次なるステップへと踏み出したのは1963年のこと。きっかけとなったのは、356の後継モデル「911」の誕生だ。911はデビュー後間もなく、スーパーカーブームの一躍を担う注目株へと成長。以降、現在に至る55年以上もの間、歴史モデルが世界中で高い評価を獲得し続けている。 911が高く評価される理由、それは、何といっても走行フィールに尽きる。初代から現行モデルに至るまで、911はリアタイヤに十分な荷重が掛かるRR(リアエンジン/リアドライブ)レイアウトと、低重心の水平対向エンジンを一貫して採用。それらが紡ぎ出す強力なトラクション性能とスムーズで自然な操舵フィール、滑らかなエンジンの吹け上がりなどは、いつの時代も一級品だ。そこに、“バイザッハ”と呼ばれる自社のテストコースで磨き込まれた卓越したブレーキと軽やかなフットワークとが相まって、いつの時代も精緻な乗り味を提供し続けている。 そうした911のヒストリーにおいて、現在、マニア垂涎の1台となっているのが、第4世代の“タイプ993”だ。ポルシェは356の時代から、長年、エンジンの冷却システムに空冷式を採用していたが、このモデルを最後に、すべてのエンジンを水冷式へと変更。つまり空冷式の最終章を飾ったのがタイプ993というわけだ。 空冷式とはその名の通り、エンジンを直接、空気で冷却する方式で、エンジンのシリンダーヘッドやシリンダーブロックの周囲には、冷却効果を高めるためのフィンが設けられている。エンジンから生じた熱がこの冷却フィンへと伝わり、大気中へと放散される仕組みだ。 ポルシェが長きに渡って空冷式にこだわり続けた理由は、構造がシンプルな点にある。空冷式は、ラジエーターなど重量がかさむ補機類で不要なほか、シリンダーブロック内に冷却水が通るウォータージャケットを設ける必要もないことから、必然的にエンジンの軽量化につながる。軽さはスポーツカーにとって外せない要素だが、当時のポルシェはそうしたスポーツカーづくりの“一丁目一番地”を真摯に追求し続けていたことがうかがえる。 しかし、性能向上とともに、911の水平対向エンジンは発熱量が増大。空気による冷却でそれらをコントロールすることは限界に達しつつあった。さらに、厳しくなるばかりの排出ガス規制に対しても、空冷式は不利とされていた。そうした状況を鑑みて、ポルシェは熟成を重ねてきた空冷エンジンの継続採用を断念。後継モデル“タイプ996”以降は、水冷エンジンへのスイッチを決断することになる。 こうして最後の空冷エンジン車となったタイプ993は、今やポルシェマニアの間で“最後の911”と神格化されている。エクステリアは、一見、“代わり栄えしない”911らしいものだが、実は前身の“タイプ964”に対し、ルーフラインを除くほぼすべてのパーツを刷新。特にリアフェンダーは大幅に拡幅され、グラマラスな曲面フォルムへと生まれ変わった。 また、ボディと一体化された前後バンパー、ボディとの段差が小さくなったサイドのガラス面、盛り上がりが小さく抑えられたフロントフェンダーなど、ディテールも変更。911のDNAを継承しつつも、新たな時代の到来を告げるデザインとなった。 タイプ993の技術面で特筆すべきは、一新された足回りだ。新採用のマルチリンク式リアサスペンションは、しなやか、かつ安定感ある走行フィールを実現。それまでの911は硬派な乗り味が特徴だったが、足回りの一新で一気にモダンなスポーツカーへと進化した。ちなみにリアフェンダーの拡幅は、この足回りを収めるためだったともいわれている。 タイプ993は空冷エンジンを積む“最後の911”となったものの、ポルシェは水平対向エンジンを進化させ続けた。リアフェンダーの拡幅に合わせ、従来モデルから排気系を改善した初期のエントリーモデルは、最高出力は272馬力を発生していたが、1995年のマイナーチェンジでは独自の可変吸気システム“バリオラム”を組み合わせることで、285馬力へとパワーアップ。このほか、歴代モデルで初めて、ツインターボチャージャーを採用した「911ターボ」を世に送り出すなど、水冷エンジンの性能追求はモデル末期まで続いた。 2020年の今、改めてタイプ993に触れてみると、やはり空冷式ならではのエンジンサウンドが新鮮に感じる。シンプルな構造だからか、燃焼に伴う「シャー」というエンジンサウンドが否応なしに耳へと届く。宿敵フェラーリのそれのように官能的とはいいがたいが、精密な機械がいい仕事をしているという印象だ。ポルシェ好きの中には、この独特のサウンドを「胎盤を流れる血液の音」と表現するマニアもいるという。人間にとっての根源的な記憶を思い起こさせる音だからこそ、ポルシェの水冷エンジンはクルマ好きの本能をくすぐるのだろう。 最新の911に搭載される水冷エンジンは、空冷式の時代に比べて加速力や走行性能が格段の進化を遂げているが、昔のポルシェを愛する人々は皆、何か物足りないと口々にいう。最新の911は、最強かつ最良のポルシェであることに疑いの余地はないが、ポルシェ好きにとって“最高のポルシェ”は、空冷エンジンを搭載する最後の911=タイプ993なのである。 Author: アップ・ヴィレッジ

「最善か無か」を旗印に掲げた往時の“メルセデスの良心”を今に伝える <メルセデス・ベンツ「Eクラス」(W124)>

「最善か無か」を旗印に掲げた往時の“メルセデスの良心”を今に伝える <メルセデス・ベンツ「Eクラス」(W124)>

世界最古の自動車メーカーとして知られるドイツの名門・メルセデス・ベンツ。現在でこそコンパクトハッチバックの「Aクラス」や小型SUVの「GLA」など、手の届きやすいモデルを多数取りそろえる同ブランドだが、1990年代前半くらいまでのラインナップは、まさに少数精鋭と呼ぶにふさわしいものだった。 主軸は、エントリーモデルの「190E」(「Cクラス」の前身)、ミドルサイズの「ミディアムクラス」(後の「Eクラス」)、フラッグシップの「Sクラス」というセダン3本柱。そのほか、EクラスとSクラスをベースとしたクーペ、2シーターオープンスポーツの「SL」、クロスカントリー4WDの「Gクラス」といった趣味性の高いモデルも取りそろえてはいたが、いずれも生産台数は限られていた。 そんな数少ないラインナップで、メルセデスが自動車ビジネスを継続できたのはなぜか? コストの制約や販売競争が現在ほど厳しくない大らかな時代だったことも理由のひとつだが、最大の要因は何といっても、メルセデスのクルマ作りに対する崇高な信念が各モデルに貫かれていたからだろう。 それは、メルセデスの創始者であるゴットリーブ・ダイムラーが掲げた“最善か無か”という信念。ファクトリーから送り出されるプロダクツは、品質や安全性といったすべてにおいて、最高水準にまで磨き抜かれたものでなくてはならない、という考え方だ。 そうした信念に共感を抱く多くの人々から、高い支持を集めた名車が、1984年の晩秋に発表されたミディアムクラス/Eクラス(W124)だ。11年間のモデルライフにおいて、ステーションワゴン(S124)やクーペ(C124)、カブリオレ(A124)といった派生モデルをラインナップに加え、シリーズ累計273万台以上のセールスを記録。当時のメルセデスのベストセラー記録を塗りかえてみせた。 “最善か無か”の信念の下、W124の開発がスタートしたのは1977年のこと。コストがふんだんに投下され、ボディには高張力鋼板などの軽量化素材が多数採用された。また安全性においても、強固なキャビンや前後に設けられたクラッシャブルゾーンにより、当時としては先端をゆく前面オフセット衝突に対応するなど、妥協のない設計が施された。 一方、速度無制限区間のあるドイツ・アウトバーンでの高速性能を重視し、風洞実験室でのテストを繰り返すことで空気抵抗を低減。結果、前身のモデルに対し、燃費性能も改善している。 そうしたこだわりは、細部に至るまで貫かれている。例えば、リアのコンビネーションランプは、ドロなどが付いても後方からの被視認性を確保できるよう、表面のパネルに凹凸が設けられているし、前後シートは快適な座り心地を実現するため、スプリングやクッションの間に動物の毛やヤシの実の繊維を挟んで通気性を確保するなど、今見ても思わずうならされる秀逸なアイデアが垣間見える。 そんなW124の形容詞としてしばしば用いられるのが、“オーバークオリティ”や“金庫のような剛性感”といった言葉だ。2020年の今、改めてEクラスセダンに触れてみると、そうした言葉が決して誇張されたものではないことを実感させられる。 まず車内に乗り込む段階から、オーバークオリティという言葉が脳裏に浮かぶ。「ガチャリ」と鈍い金属音を伴って閉まるドアは、重い金庫の扉のように重厚。走り出してもその印象は変わらない。ボディは「ミシリ」ともいわず、35年以上も前に誕生したモデルとは思えないほど高い剛性感を感じさせる。 また、踏みごたえのあるアクセルペダルは、微妙なスピードコントロールを可能にしてくれるし、小さな力でもしっかり握れる径の大きいハンドルは、ロングドライブ時の疲労感を軽減してくれる。今の時代にはお目にかかれない往時のメルセデス特有のパーツ類も、このように理に適ったものなのだ。 まさに非の打ちどころがないと感じる、往時のメルセデスのクルマづくりだが、残念ながらこの後、より厳しさを増す環境性能への要求や、利益追求のためのコストダウン、そして、他社との熾烈な販売競争などにより、“最善か無か”のスローガン自体、使われなくなってしまった。 2010年代後半、再び“最善か無か”のスローガンが掲げられるようになり、最新のメルセデスはいずれもクオリティが大幅に高まってきているが、そこに往時のW124の面影はない。確かに、いいクルマぞろいではあるものの、オーバークオリティや金庫のような剛性感といった印象のW124とは方向性の異なる、イマドキのいいクルマなのである。 つまりW124は、“最善か無か”のスローガンの下、徹底的にこだわって開発された最後の“リアル・メルセデス”といえるだろう。多くのクルマ好きが今も高く評価し続ける理由はそこにある。 TEXT/アップ・ヴィレッジ