Author: 早坂英之

Instagramに通じる、今も昔もカメラ好きが憧れる銘機『ハッセルブラッド』

Instagramに通じる、今も昔もカメラ好きが憧れる銘機『ハッセルブラッド』

日進月歩の技術開発が続くカメラ業界。各メーカーから毎年のように発売される新製品は、高速連写、AF追随、高解像度ほか、4K動画などのスペック値が向上。プロ、ハイアマチュアを想定して作られたモデルでも、子供の撮影や旅行の記録を主にするようなサンデーカメラマンが手にするようになった。もちろんこれは高性能・高機能カメラが、一般ユーザーでも扱いやすくなったから。 一方で、Instagramでは「#デジタルでフィルムを再現したい」(投稿95.7万件※)、「#オールドレンズに恋をした」(投稿48.9万件※)、「#フィルムカメラに恋してる」(投稿40.7万件※)などのハッシュタグが注目を集めるなど、アナログライクな写真が人気だ※投稿数はすべて2021年5月31日現在のもの)。 後世に語り継がれるアナログ中判カメラ スウェーデン生まれの「ハッセルブラッド(Hasselblad)」は、プロ御用達のカメラブランドとして長く愛され続けてきた。中判のブローニーフィルムを使用し、6✕6スクエアフォーマットで撮れる写真は、今のInstagramにも通じるものがある。 筆者のハッセルブラッドは写真家だった叔父から引き継いだもの。完璧なコンディションとは言い難いが、それでも叔父は専門店で修理をしながら使い続けてきた。 ハッセルブラッドは一般的なカメラと違い、腰の位置にカメラを構え、上から覗き込むようにして撮る「ウエストレベルファインダー」を採用している。左右が反転して写るので、構図を決めるには慣れが必要だ。でもこのスタイルが“ただものじゃない”感を出し、「かっこいいな」と子供ながらに思っていたことを覚えている。 ハッセルブラッドの標準レンズは80mm。35mmのフルサイズカメラだと50mmに該当する。スウェーデンのメーカーだが、レンズは西ドイツのカール・ツァイス(Carl Zeiss)が請け負ってきた※一部、東ドイツのカール・ツァイス・イエナ(Carl Zeiss Jena)も。 普通のカメラならとくに気にせずレンズ交換が行なえるが、ハッセルブラッドはシャッターを巻き上げた状態(チャージした状態)で着脱する必要がある。この手順を間違えると、元の状態に戻すことができず、専門業者に依頼することになって、修理費もかさむ…ので、注意が必要だ。“ハッセルブラッドのお作法”とも呼ばれ、「難しい」「ハードルが高い」と言われるのもうなずける。 叔父から受け継いだハッセルブラッドは、1970年から1989年に製造された「500C/M」、1988年発売の「500ELX」で、正直、使いこなせるほど“お作法”には慣れていない。以前、本ジャーナルで紹介した「ペンタックス67(PENTAX※通称バケペン)」のほうが扱いやすいのだが、舶来製のハッセルブラッドへの憧れを常に抱き続けている。 ハッセルブラッドがなくても、スクエアフォーマットは楽しめる デジタルカメラ全盛の時代に、ハッセルブラッドのようなカメラを手にする人は、よほどのカメラ好きか、写真家、もしくは筆者のように単純に憧れをもっている人だろう。とはいえ、アナログカメラは撮った写真をその都度確認することはできず、フィルムや現像代も馬鹿にならない。まさに“一写入魂”の心構えが必要だ。シャッターを切る際はもちろん、現像待ちでも「ちゃんと撮れているかな」と緊張する。 だが、冒頭で述べたように、Instagramを使えば、デジカメやスマホで撮った後にスクエアフォーマットにしてフィルター加工するだけで、それらしい写真が残せる。そこには緊張も現像代も要らない。 コツは、ちょっと青めに仕上げること。パソコンでPhotoshopやLightroomを使う場合、色調補正とほんの少しのノイズ(粒子風に)を加えれば、ものの数分で完成する。アプリならフィルターを選ぶだけと、もっと簡単だ。 とはいえ、やりすぎには注意。度を超えた加工はノスタルジーを通り越して、「在りし日の思い出」風になってしまうかもしれない……。 TEXT/PHOTO  早坂英之

ユネスコ世界遺産、英国式聖地巡礼の旅「カンタベリー大聖堂」

ユネスコ世界遺産、英国式聖地巡礼の旅「カンタベリー大聖堂」

イングランド国教会の大本山、イギリス ケント州のカンタベリーにある「カンタベリー大聖堂」。正式名称は「Canterbury Cathedral, St. Augustine’s Abbey, and St. Martin’s Church」だが、地元の人たちは親しみを込めて「Cathedral(大聖堂)」と呼ぶ。 カンタベリー大聖堂の歴史は古く、ノルマン朝の初代イングランド王、ウィリアム1世(1087年没)の命にて建立され、ウィリアム1世の死後、1130年に完成した。元々はローマ・カトリック教会の一部だったが、1534年にローマ教皇庁からイングランド国教会が独立。カンタベリー大聖堂はイングランド国教会の総本山となった。なお、イングランド国教会の首長は現エリザベス女王(エリザベス2世)である。 見るも美しく、重厚な佇まいのカンタベリー大聖堂は、補修工事を繰り返しながらも当時のゴシック様式建築を維持し、中を訪れると、まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚を抱くほど。 聖人像、ステンドグラスも魅力のひとつ カンタベリー大聖堂には聖人やギリス国教会のシンボルとなった人たちの像が所狭しと並び、中には現在エリザベス女王と、フィリップ殿下(エディンバラ公)を見ることもできる。 また、大聖堂内には数多の聖人が祀られており、中でも有名なのがトマス・ベケットカンタベリー大司教(1170年没)が暗殺された場所。トマス・ベケット大司教の死後、「大司教が夢に出てお告げを聞いた」「大司教が病や傷を治してくれた」などの奇跡が起き、カンタベリーへの聖地巡礼はより一層の賑わいをみせるようになったという。 トマス・ベケット大司教への巡礼に向かった人たちが、暇つぶしにそれぞれの話を語りあったのが、かの有名な『カンタベリー物語(14世紀・ジェフリー・チョーサー著)』。岩波書店から『完訳カンタベリー物語』が出ているので、興味がある人はぜひ手にしてみてほしい。 大聖堂は色鮮やかなステンドグラスも魅力のひとつ。この場所ではないが、トマス・ベケット大司教暗殺の場面もステンドグラスで見ることができる 大聖堂を見た後は、ボートに乗って市街地ツアーを そんな古都カンタベリーは、古い町並みも魅力のひとつ。石畳のメインストリートには歴史ある建造物が所狭しと並び、パブやレストランとして今なお使われている。町中を流れる川のボートツアーを利用して、ガイドの軽快な歴史トークと合わせて中世カンタベリーに思いを馳せるのも一興だ。 ボートツアーで、とくに人気なのが川に向かって飛び出した水責めの椅子「Ducking Stool」。中世イングランドでは、見せしめのための懲罰として全国各地にあったほど。その名残? なのだろうか、カンタベリーを訪れる人たちのフォトスポットとなっている。 観光用ボートの上に見えるのが水責めの椅子「Ducking Stool」。桟橋から触れることもできるが、もちろん使うことはない。なお、歴史あるパブのすぐ横にあり、酔っ払って使ったりしないのかな? と思うほど。 かつての牢獄は今はパブ!? カンタベリーの入り口「ウエスト・ゲート・タワー」 筆者は学生時代をこの町で過ごし、卒業してからも4年に一度訪れては旧友と親交を深めている。カンタベリーにいる時は昼夜問わずパブをハシゴしているが、訪れるパブのほとんどが「数百年前から続く店」「この建物は、中世に建てられたものだ」など、その都度、酔客たちの歴史話に驚く。 カンタベリーの地元民たちは、今なお使われているのが当たり前かのように歴史的建造物と接しているので、とくに貴重だという感情が見受けられないほど。「おいおい、飲みすぎて寄っかかっているその壁、歴史的価値が高いものなのでは…」と、パイントビールを片手に笑い話になることが多い。 写真下の庭園の先に見える石造りの塔は、カンタベリー市街地への門「ウエスト・ゲート・タワー」。かつては殉教者たちがこの門をくぐり、また、牢獄としても使われていたいわくつきの塔だが、今は牢屋テイストなパブになっており、若者たちで賑わう。 日本だと京都、奈良、鎌倉に近い印象を持つイギリス、カンタベリー。とは言え、街全体としてはさほど大きくなく、1時間あればぐるりと回れるほど。ロンドンからも電車で1~2時間ほどとアクセスも良好。歴史好きにはぜひともおすすめしたい。なお、パブとB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)が同じ店というのも珍しくないので、飲んで寝て、また飲んで、ちょっと観光もという過ごし方もアリだ。 カンタベリーの地元民たちは、今なお使われているのが当たり前かのように歴史的建造物と接しているので、とくに貴重だという感情が見受けられないほど。「おいおい、飲みすぎて寄っかかっているその壁、歴史的価値が高いものなのでは…」と、パイントビールを片手に笑い話になることが多い。 写真下の庭園の先に見える石造りの塔は、カンタベリー市街地への門「ウエスト・ゲート・タワー」。かつては殉教者たちがこの門をくぐり、また、牢獄としても使われていたいわくつきの塔だが、今は牢屋テイストなパブになっており、若者たちで賑わう。

伝統とブランド、1925年創業のトランギアが今なお愛され続ける理由

伝統とブランド、1925年創業のトランギアが今なお愛され続ける理由

アウトドアギアと言えば、今も昔もヘビーデューティーなもの。過酷なフィールドで耐えられるつくりかどうかは、登山家をはじめとしたあらゆるアウトドアズマンにとって、選びの基準になっている。とくにバックパックを背負って何日も歩くような旅では、「壊れない」「すぐに使える」「持ち運びやすい」、この3要素が非常に重要だ。

 

今でこそアウトドアメーカー各社から機能性にすぐれた最新のギアが数多くリリースされているが、その一方で、およそ半世紀前のギアが現役で使われているのだから、アウトドアギアはおもしろい。このトランギア製アルコールバーナーもそんなクラッシックなギアのひとつ。シンプル&タフなつくりは、時代を超えて世界中のアウトドアズマンに愛用されている。

 

トランギア社は、1925年にスウェーデン中部のTrångsviken(トラングスヴィッケン)で創設された。トラングスヴィッケンは首都ストックホルムから北西に約250kmに位置する小さな田舎町。彼の地で創業者John E.Jonsson(ジョン E. ヨンソン)が家庭用クックウェアを手掛けたのが同社のはじまりだ。1930年代になると、ヨーロッパ諸国で労働者の有給制度が取り入れられるようになり、スウェーデンでも余暇を自然のなかで過ごす人たちが増えた。このときから、トランギア社は野外で使えるアウトドアギアを製造販売するようになる。

 

1950年以降、同社が手掛ける軽くて使い勝手が良いアルコールバーナー(ポケットストーブ)、クッカー類は、スウェーデン軍をはじめ、ドイツやスイスの軍隊でも導入されるなど、市場を拡大していく。当時のスウェーデン軍で使用されていたトリプルクラウンの刻印入りビンテージは、コレクターズアイテムとして今なお人気が高い。

 

トランギア製品は、今も昔も創業の地、トラングスヴィッケンで製造されている。アルコールバーナーはスウェーデンの職人たちによって手作業を含む工程でつくられているため、多少の個体差があるのも味わい深い。また、長く使用しても壊れない(壊れにくい)のも、タフ&シンプルならでは。

 

使い続けることによってボディーの風合いが増すのも、旅の思い出を刻み続けるかのよう。ただし、中に入れたアルコールがこぼれないようにするゴムのOリングは経年劣化するので、適時交換が必要なことを付け加えておく。

準備から着火、燃焼まで、一連の所作が美しいトランギア製アルコールバーナー

トランギアのアルコールバーナーは、本体(燃料タンク)、消火&火力調整用の蓋、本体用蓋の3つで構成されている。タンクにアルコールを入れ、ライターやマッチで着火。点火後、タンク内部の燃料が温められ、ほんの少し時間を置くと火口から出る炎が安定する。準備が整ったら別途、ゴトクを用意して、クッカー(鍋)などを置いて使用する。タンク2/3の燃料で約25分間燃焼するので、一回分の調理には十分。

 

燃料のアルコールはどの国でも手に入りやすく、世界を旅する冒険家たちが愛用するのもうなずける。重量は110g程度。アウトドア用のガス缶(OD缶)110サイズとほぼ同じの重さで、それよりもさらにコンパクトなのだから、バックパックの中に入れても邪魔にならない。できるだけ荷物を減らしたい山登りやトレッキング等で重宝するバーナーだ。

自然の音を邪魔しない、静かな燃焼音

これだけコンパクトなのに火力は想像以上。ガス缶を使用したシングルバーナーには劣るが、それでも十分許容範囲だろう。何より見た目に美しく、燃焼時の様子はうっとり見とれてしまうほど。他の燃焼器具と比べて静かなことも魅力のひとつ。自然の中で、木々や風の音、鳥のさえずりなどを聞きながら、ゆったりとした時を過ごす。傍らにはトランギアで淹れたコーヒーを。ロケーション効果を含めて、アルコールバーナーがすべてを演出してくれる。

トランギアアルコールバーナーと合わせて使いたい、人気のメスティン

アルコールバーナーと合わせて用意したいのがクッカー。中でも同社製のメスティンは、軽くて使い勝手がよく、とくに人気が高い製品だ。アルミ製の箱型飯ごうメスティンは、これひとつで煮る、炊く、焼く、蒸す、燻すまでまかなえる万能調理道具。定番のレギュラーサイズは、お米がちょうど一合分炊ける大きさだ。

 

写真のように、アルコールバーナーとライター、フォールディングナイフに調味料などをしまっておけるので、持ち運びも楽。何よりコンパクトに収納できるのがうれしい。Instagramでは、メスティン愛好者たちが思い思いの料理写真をアップしたり、レシピサイトで自慢のメスティン料理の作り方をまとめたりしている。中には日常生活でお弁当箱代わりに使っている人も。

 

あまりの人気で市場在庫が少なくなり、手に入りにくい状況ではあるが、トランギア製のメスティンはアルコールバーナーと同じく、本国スウェーデンで丁寧に生産されているので、市場在庫が復活するまで待ってみてはいかがだろうか。どうせならば、トランギア製のメスティンとアルコールバーナーを。本物を持とう。

一世紀以上も変わらぬ灯り。ドイツ生まれのハリケーンランタン「Feuerhand Lantern」

一世紀以上も変わらぬ灯り。ドイツ生まれのハリケーンランタン「Feuerhand Lantern」

100年以上経った今でも、愛され続けているランタンがある。ドイツの銘品「Feuerhand Lantern (フュアハンドランタン)」は、1893年にドイツ人技師のヘルマン兄弟とエルンストニーア兄弟の手によって誕生し、1902年には生産拠点となる「Hermann Nier Feuerhandwerk」を立ち上げ、1914年に「Feuerhand」の商標を取得。一世紀以上続くロングセラー、フュアハンドランタンが生まれた。 ドイツで生まれ、今なおドイツで作り続けられているフュアハンドランタン フュアハンドランタンは「台風や嵐が吹いても火が消えない」ランタンとして評判を集め、いつしか「ハリケーンランタン」と呼ばれるようになった。当時はまだ電灯が普及しておらず、一般家庭はもちろん軍用としても重宝され、その実力は世界にも広がり、1926年には「Firehand」の商標でアメリカでも登録されるまでに成長。誕生から約30年で、名実ともに世界ナンバーワン灯油ランタンとなる。   日本でも購入できる「Feuerhand Lantern Baby Special276(フュアハンド ベイビースペシャル276)」は、当時から作り続けられている同ブランドの顔。構造はそのまま、ボディーには亜鉛メッキが施され、さまざまなカラーリングで展開されている。製造はすべてドイツHohenlockstedt(ホーエンロックシュテット)の同社工場によるもの。100年以上続く「Made in Germany」が何とも誇らしい。   フュアハンド ベイビースペシャル276の構造について見ていこう。このランタンは灯油もしくはパラフィンオイルを燃料とする。燃料が芯に染み込むことで火が灯り、温められた空気が上部から放出される。一方で新鮮な空気が両サイドのチャンパー(管)を通ってバーナーに送り込まれ、燃焼が促進される仕組みだ。 火力調整ハンドルを回すと芯(ウイック)が出てくる。毛細管現象によって灯油が芯を伝わって先端まで染み込む。 燃料として使用するパラフィンオイル。もちろん、灯油も使えるが、煤(スス)が出てしまい、後片付けにちょっと手間がかかる。高純度石油系燃料のパラフィンオイルを使えば、黒ずむこともないので楽。 シンプルな構造ゆえ、修理は専門知識なく行なえる。メンテナンスも難しいことはない。それゆえ、昔は一般家庭の必需品だったものが、今ではアウトドアズマンが好んで使うようにもなった。現在では同じくドイツを本拠地とするペトロマックス社がフュアハンド ランタンの製造権利を持っており、ペトロマックスの加圧式灯油ランタンと合わせて市場を牽引。世界中のアウトドアズマンがペトロマックス“グループ”のランタンを使用している。なお余談だが、フュアハンドと人気を二分する存在が、1840年にアメリカ・ニューヨークで誕生した「DIETZ」。こちらは現在、中国で製造されている。 アウトドアユースとしてのフュアハンド ベイビースペシャル276 昨今のキャンプブームでは、さまざまなスタイルが生まれている。まるでホテルのようなグランピングや、サバイバル的に過ごすブッシュクラフト。はたまたひとりで楽しむソロキャンプなど、実に多彩だ。テントひとつとってもかつてのオールドスクールなロッジ型、ベーシックなドーム型だけではない。   インディアンが使うようなティピー型や、まるでサーカステントのようなベル型、ツーポール型。投げるだけでそこそこ立つ、ポップアップテントなども新しい。まさに日進月歩なアウトドアシーンにおいて、化石のようなフュアハンド ベイビースペシャル276は、クラシックスタイル・ブッシュクラフト寄りの人たちに愛用されている。   LEDライトやガス&ホワイトガソリンランタンと比べて圧倒的に光量が小さい。ゆえに、メインランタンとして便利かと言えば、そうではない。キャンドルランタンと同じぐらいなのが、フュアハンド ベイビースペシャル276だ。それでも前述のような高性能ランタンだと明る過ぎる。ムードを大事にしたいという人たちが好んで使用している。   焚き火の灯りを中心に、手元を照らすのはフュアハンド ベイビースペシャル276。使うごとに風合いも増していく、まさに相棒とも言える存在。何でも高性能なものが良いわけではない。小さな灯りはそう語っているかのようだ。 ボディーの色で、火を灯したときの雰囲気も変わる。限定色も出ており、プレミアランタンとして人気が高い。2020年はパールブラックベリーだった。

「ドクターマーチン、UKカウンターカルチャーのシンボリックな存在」

「ドクターマーチン、UKカウンターカルチャーのシンボリックな存在」

ファッションのみならず、カルチャーアイコンとしても有名な「Dr.Martens(以下ドクターマーチン。足の指を保護する硬いスチールトゥに、柔軟性と耐久性を併せ持つソールが特徴のこのワークブーツは、いつしかロンドンの若者たちが好んで履くようになった。 セックス・ピストルズ、ザ・フー、クラッシュなど、名だたるブリティッシュバンドが“労働者の象徴”たるドクターマーチンを履いて演奏し、キッズたちはプレイヤーに憧れてドクターマーチンを履くようになる。 油やガソリンなどでも滑らない。それでいて軽くて歩きやすいブーツとして人気を博した。ソールには「MADE IN ENGLAND」の文字が。 その後、シャツやポロシャツにサスペンダーを組み合わせ、頭を丸刈りにしたスキンヘッズたちが台頭。ドクターマーチンは狂信的なカウンターカルチャーの象徴としても扱われるようになった。 シューレースを足首に何十も巻いて履くスタイルが流行(「SKINS & PUNKS」Gavin Watson/Independent Music Pressより) 左右で異なるシューレースも(「SKINS」Gavin Watson/John Blake Publishingより) 当時の様子は映画「THIS IS ENGLAND(2016/インディペンデント映画)」でも描かれている。 ドクターマーチンはドイツ生まれ。ゴムタイヤを改造したエアークッションソール イギリスの音楽シーン、ロンドンのユースカルチャーとしてあまりにも有名なドクターマーチンだが、元々は1945年にドイツ人の医師、クラウス・マルテンスが開発したものだった。   クラウス・マルテンスは「スキーで怪我をした足に優しい靴を」という個人的な理由でエア・クッション・ソールを開発。友人のヘルベルト・フンクとともに商品化に成功し、ドイツで広く知られるようになる。   その後、ドクターマーチンはイギリスのビル・グリッグスへと渡り、同国でエア・クッション・ソールの製造特許を取得。医師、クラウス・マルテンスの名前を英語読みにした「ドクターマーチン」が誕生した。 履くほどに足に馴染む。おろしたてのマーチンは革が硬いので(昔のマーチンはみんな硬かったので)、厚手の靴下を履いて靴擦れを防ぐのが常だった。 番外編「ブリティッシュトラッドのクラークス」 ドクターマーチンがカウンターカルチャーを代表する一足ならば、同じイギリスで生まれた「Clarks(クラークス)」は、1825年から続くトラッドスタイルの代表格。   天然の生ゴムから作られている独特のクレープソールは、ドクターマーチンのエアークッションソールとは異なる履き心地を持つ。さながらやんちゃなドクターマーチンと、正統派なクラークスと言ったところ。 クラークスの名作、ワラビー。コンフォートシューズの礎を築いた一足。 番外編「ルーツはワークブーツ。ドクターマーチンとダナーの共通点」 ワークブーツとして生まれ、労働者階級でも購入しやすい金額という、ドクターマーチンと似た背景を持つ「Danner(ダナー)」。アメリカ、オレゴン州ポートランドで誕生したダナーは、1959年にビブラムソールを搭載。ハイキングブーツとして、人々が好んで履くようになった。   その後、1979年にゴアテックスファブリックを採用。現在のダナーの原型が生まれる。 ダナーライトのローカット(ラクロス・フットウエア製)。 ロンドンっ子がドクターマーチンを履けば、ポートランドの山男たちはダナーを履く。トラディショナルなクラークスも然り。現代でもそのスタイルは脈々と受け継がれている。

雨でも傘をささない英国人 バブアーとアクアスキュータムの絶大なる信頼性

雨でも傘をささない英国人 バブアーとアクアスキュータムの絶大なる信頼性

「英国人は雨でも傘をささない」というのは有名な話で、本当の話。例えばロンドンだと、年間降雨量が東京の1/3程度ほど。それでも日本のような梅雨があるわけでもなく、一年中、小雨が降ったり止んだりしている。まさに霧の街ロンドンだ。

傘をさしている人はまばら。おそらく観光客と思われる。

では、英国人がどのようにして雨をしのぐかと言うと、ジャケットにフードが定番。ラフな格好の学生もスーツをまとったビジネスマンも、フードをかぶって小走りしている姿をよく見かける。朝ならば片手にティーも持って、お昼時はフィッシュアンドチップスを。夕方過ぎのパブの前では、小雨のなか、フードをかぶってパイントビールとタバコで過ごす(英国ではパブの中での喫煙が法律で禁止されている)。

 

それほど「雨に濡れることをさほど気にしていない」「雨が降ったり止んだりするから」「そもそもめんどくさい」のが英国人たちの本音だ。そんな英国人たちだが、身だしなみには人一倍気を使う。雨をしのぐジャケットも、英国紳士はきちんとしたコートやジャケットを身にまとう。今でこそアウトドアブランドのレインウェアを着ている人も珍しくはないが、古くから英国の定番として人々に愛され続けているブリティッシュ・プライドを紹介しよう。

ハンティングにルーツを持つ2つのコート

英国生まれのコートといえばBURBERRY(バーバリー・1856創業)、Aquascutum(アクアスキュータム・1851年創業)が代表格。バーバリーといえば「バーバリーチェック」が有名だが、アクアスキュータムは「ガンクラブチェック」と呼ばれる伝統のハンティング柄。このチェックが同ブランドの顔となっている。

アクアスキュータム「LEIGHTON」。スリップオンなスタンダードコートで、カジュアルにもビジネスにもよく合う。

そして、ワックスドクロスのBarbour(バブアー・1894年)の定番ジャケット「BEAUFORT」もハンティング用に作られた製品。バブアー自体、もともとは港湾労働者たちのワークウェアとして誕生したブランドで、高い防水・防風性能は狩猟時の雨除けとしても重宝された。

バブアー「BEAUFORT WAXED COTTON」。ワックス仕立てのコートとして、あまりにも有名。

雨を防ぐ水の盾、アクアスキュータム

アクアスキュータムは、ロンドン・リージェントストリートの高級服仕立屋としてビジネスをスタート。防水加工を施したウール生地を作り出し、特許を取得。「アクアスキュータム」はラテン語で“水の盾”を意味する。

その機能性の高さから英国軍人から王室まで、幅広く好まれるブランドとなり、ウィントン・チャーチル、マーガレット・サッチャー元首相らも愛用者のひとりである。

 

前述のとおり、アクアスキュータムの裏地はガンクラブチェック柄。このパターンはハンティングユニフォームとして用いられている。英国においてハンティングは貴族のスポーツ。王室御用達ブランドがこのチェック柄を用いたのもうなずける。

水を弾く、強力なワックスドクロス

生地の表面をワックスでコーティングしたのが、バブアーのワックスドクロスコート。バブアーはイングランド北東部の港町、サウス・シールズで生まれたブランドで、水や風に強い生地が漁師や港湾労働者たちを寒さから守った。その後、過酷な環境下でも身を守れるライダースジャケットとしても人気を博すようになる。

バブアーの裏地は「ブラックウォッチチェック」と呼ばれるタータンチェック柄で、英国軍にも採用されたもの。バブアーはアクアスキュータムと同じく、王室御用達ブランドでもある。

 

ハンティングジャケットのBEAUFORT WAXED COTTONは、インナーやフードをオプションで付けることができる。とくにフードは、雨をしのぐ傘代わりにかぶるのにちょうどいい。

なお、ジャケットもインナーも、さほど洗濯しないのがバブアー流。汚れを拭き取るだけが基本で、シーズンオフには専用のワックスを薄く塗って保管する。この儀式がバブアーならではで、なんとも心地よい。

 

英国人は雨でも傘をささない、というのも、同国を代表する防水コート&ジャケットをみるとうなずける。けっして安いものではないが、ずっと着られる“定番”なのがうれしい。「一生モノ」を語れる逸品だ。

モッズとロッカーズとレインボーパレードの街、イギリス「ブライトン」の魅力

モッズとロッカーズとレインボーパレードの街、イギリス「ブライトン」の魅力

イギリスと言えば「ロンドン」。多くの日本人がそう思っているはず。だがそれは「日本といえば東京」と言っているようなもので、そもそもその国の一番有名なところしか見ていない。日本各地に素晴らしい場所があるように、イギリスにも一度は訪れたい、訪れてほしい都市や街、場所が多々ある。 今回はイングランド南東部の都市「ブライトン(Brighton)」を紹介したい。かつてモッズとロッカーズの大乱闘があったこの街、今では若者文化が根付いたカルチャーの街として、多くのイギリス人の若者が憧れる場所になっている。 ブライトン駅にて。ロンドンから電車で1時間半ほどで到着する。 ブライトンを語る上でモッズとロッカーズは欠かせない 1964年、ブライトンの海岸で若者たちが大乱闘を繰り広げた。細身のスーツにミリタリーパーカーをまとい、ベスパやランブレッタなどのスクーターで移動していたモッズと、革のライダースジャケットに革パンツのスタイルで、トライアンフやノートンにまたがっていたロッカーズ。着ている服や聴く音楽、乗るバイクまで異なるモッズとロッカーズはしばしば抗争を繰り広げていた。 ブライトンの海岸で起きた両者の衝突はその最たるもので、「ブライトンの暴動」「スタイル・ウォー」と呼ばれ新聞沙汰になったほど。その後、この事件は映画『さらば青春の光』(Quadrophenia・1979年制作)となって後世に語り継がれている。 なお、2011年に作られた映画『ブライトン・ロック(Brighton Rock)』は、モッズとロッカーズの時代背景に加え、当時のブリティッシュギャングの抗争を描いたもの。両方の映画を観るとブライトンの歴史がよく分かる。余談だが、ブライトン・ロックは街で売られているお土産の“飴”のこと。金太郎飴のようにどこで切っても同じ絵柄で人気だ。 モッズvsロッカーズの大乱闘の舞台となった遊園地 観光地でもあるブライトンには遊園地「ブライトン・ピア(Brighton Pier)」がある。海のうえに迫り出すようにして建てられたこの遊園地、昼は家族連れや子供たちで賑わい、夜はカップルのデートの場所として人気だ。桟橋からの景色に「この海岸でモッズとロッカーズが抗争したのか」「この桟橋からスクーターが落とされたのか(映画・さらば青春の光より)」などを思う。 ブライトン・ピアの屋内入り口。看板の前がインスタ映えするポイント 施設内には絶叫系ほか、メリーゴーランドのような癒し系もある 「桟橋から飛び込むな」の注意看板。かつての抗争時代にはここから人やバイクなどが投げられたのだろう モッズとロッカーズの抗争があった海岸 マイノリティーに寛容な街 ブライトンでは年に一回、レインボーパレードが開催されるなど、LGBTなどのマイノリティーに対して理解がある街としても有名。肌の色も話す言葉も、性別さえも超えた「人としての尊重」をとても大事にする傾向にある。レインボーパレードが開催されている期間は街全体がお祭り状態。世界各国から人々が参加し、パレードで盛り上がり、パブでさらに盛り上がる。 世界中から参加者が集まるレインボーパレード。パレードの最中は人混みでぎゅうぎゅうな状態。それでもみんな楽しそう ブライトン博物館&美術館(Brighton Museum & Art Gallery)前にて。イギリス国内で最古の美術館としても有名な美術館も、レインボーパレードの日ばかりはお祭りモード モッズとロッカーズが抗争を繰り広げたブライトンの街は、今ではイギリスで一番ラブ&ピースな場所として人々に愛されている。それでもブライトンが今も昔もカルチャーを生む若者の街なのは変わらない。ロンドンも良いけど、1時間ちょっと足を伸ばしてブライトンを訪れてみては。 海岸沿いを走るヴォルクの電気鉄道(Volk’s Electric Railway)。1883年に運行された世界で最も古い電気鉄道だ。鉄道好きにもブライントンの街はおすすめ Author: 早坂英之

あの素晴らしきクラシックカメラをもう一度「ペンタックス67」

あの素晴らしきクラシックカメラをもう一度「ペンタックス67」

生き馬の目を抜くカメラ市場。各社こぞって軽量小型化を進め、それでいてフルサイズ、高感度・低ノイズ、高速シャッターに手ブレ補正など、技術革新に抜かりはない。一方でオールドレンズやクラシックカメラを愛でている人たちも一定層おり、InstagramなどのSNSでは新旧さまざまなカメラのオーナーたちが「いいね」で繋がっているのだからおもしろい。 最近ではカメラ好きな若い人たちの間でも、オールドレンズやクラシックカメラが持つ、独特の雰囲気が好まれている。淡く、ふんわりと優しい印象の仕上がりは、フィルターや画像加工では表現しきれない味がある。それゆえ、ひと昔前のカメラを中古で手にする人たちが増えているという。 横浜元町にて(ペンタックス67で撮影) まるで鈍器のような中判カメラ「バケペン」 昭和50年代男の筆者にとって、青春時代のカメラと言えば「写ルンです」。修学旅行には写ルンですを2つ3つ持っていき、友人や街並みなど、何も考えずにパシャパシャ撮影していた。ひとつ100gにも満たない写ルンですは持ち運びも容易で、今でいうスマホのカメラみたいにお手軽な存在だった。 そんな写ルンです全盛時に、写真家やプロカメラマンたちの間で使われていたのが「PENTAX(以下ペンタックス)67」、通称「バケペン」。まるでバケモノのように大きなペンタックスだからと、バケペンと呼ばれるようになった。 デジカメしか知らない娘(当時4歳)は、カメラの背面に液晶モニターがないことを不思議がる。 ペンタックス67は、1967年に初代「ASAHI PENTAX 6×7」が発売され、その後シリーズを重ねて1998年の「PENTAX 67II」を最後に生産が終了した。レンズ込みで2kgを超える重さと角張ったルックスはまるで鈍器のよう。ウッドハンドルがちょうどいい具合に振りかぶれる位置にある。 昔のカメラマンはヘビー級なペンタックス67を手で持って、ブレることなく撮影していたのだから恐れ入る。 手持ちで撮る時は息を殺して、呼吸をせず、死んだようにシャッターを押す。ガシャンと響くシャッター音に被写体もビビる。 このカメラは67判と呼ばれる中判カメラで、35mmのフィルムサイズの約4.4倍の大きさにあたる。使用するブローニーフィルムは12枚撮りで1000円ほど。現像代で約750円、プリントで12枚1000円ぐらいだとしたら、1枚写真にするのに220円ほどかかるのだから、中途半端な気持ちではシャッターが押せない。これがまた良い。 写真一枚の単価にビビればビビるほど、シャッターチャンスを大いに逃すが、撮影に慣れてくると被写体に「動かないで!」と、オーダーするようになる。ブレをできる限り減らすためには自分はもとより、撮られる側にも緊張感が必要だ。その結果、だいたい記念写真みたいな仕上がりになる。 子供たちをアイスで釣って、できるだけ動かないように言い聞かせる。もちろん三脚で固定して、失敗しないよう最新の注意を払って撮影した。 経費も時間もかかる、でもそれが良い フィルムカメラは撮ってすぐに見ることができない。ラボ屋さん(現像屋さん)に持って行って、プリントの種類を指定。なかには仕上げのトーンなどの相談にのってくれるお店もあり、それだけ出来上がりのワクワク感はひとしお。これはデジカメでは味わえない(失敗ばかりの凹みようも、デジカメでは体験できないツラさだ)。 なお、デジカメ慣れしていると、ペンタックス67のシャッターを押す度に、あるはずがない背面モニターを確認してしまって苦笑いする。 完全にブレてる。明るさが足りない室内撮りはとても難しい(左)。観光名所を撮ったはずだが、なんだろうこれ…。写ルンですで撮ったものと大差ない(右)。2枚で440円ほどの出費、勉強代なり。 ファインダーにマグニファイヤー(拡大鏡)を付けてみる。ピント合わせがより丁寧に行えるので、導入後の失敗が少なくなった。もちろん被写体は直立不動だ。 ハッシュタグ「#カメラ好きと繋がりたい」 お店によっては現像した写真をCD-Rに入れてデータ化してくれるサービスもある。フィルムで撮った写真をインスタにアップして、ハッシュタグ「#カメラ好きと繋がりたい」を添えれば、同じ趣味や世界観をもった人たちと「いいね」でつながることができるのだから、やらない手はない。また、SNSだと同じカメラを持っている人を見つけることも簡単なので、「どんな感じに撮っているのかな」と、作例をみるだけで勉強になる。 カメラは高性能で便利な最新機種も良いけど、ちょっと古くて扱いが難しいクラシックカメラも楽しいもの。予算と時間と根気が許せば、もっともっと撮影して使いこなせるようになりたい。たまに、というよりも頻繁に「もう使うの止めた!」と、自分の腕の無さに諦めるのだが、決まってまた触りたくなる。もしかしたらスリスリ触れているだけで満足なのかもしれない。

「バンクシーで振り返るイギリスのストリートアート文化」

「バンクシーで振り返るイギリスのストリートアート文化」

街そのものをキャンパスとして、道路や壁、標識などに落書きするグラフィティアート(ストリートアート、ミューラルとも)。文字や記号、絵など、その手法はさまざまで、無許可でペンキやスプレーで描くことから迷惑行為とも違法行為ともされてきた。そのため、グラフィティアートの多くは人目に触れない深夜にひっそりと行なわれ、ほとんどのアーティストは正体を隠して活動している。

 

世界で一番有名なグラフィティアーティスト、バンクシー(Banksy)も、正体不明な人物のひとり。彼について分かっていることと言えば、イギリス西部の港湾都市、ブリストル(Bristol)出身だということ。顔はおろか、どんな経歴で何のために絵を書いているのか、バンクシー本人とその側近以外は誰も知らない。ただひとつだけ分かるのは、彼の作品は社会に対しての風刺であり、皮肉を込めたメッセージだということ。

 

そんなバンクシーの作品は、イギリスはもとより世界中で見つかっており、中には約1億5500万円もの値段がオークションでついたものもある。とはいえ、バンクシー自体はオークションによって高値で売買されることを是とせず、落札後された絵が額縁に隠されたシュレッダーで粉々になるというパフォーマンスも行なっている(オークション会場のサザビーズでは、突如シュレッダーが動き、皆があっけにとられたほど)。

バンクシーといえばネズミが有名だが、ショッピングカート(Trolleys)を題材にすることもある。「Trolley Hunters」
パレスチナ問題を抱えるイスラエルの壁に突如として現れた「Flower Bomber」。火炎瓶の代わりに花束を。
警察から職務質問を受ける、オズの魔法使いのドロシー。「Stop & Search」

日本でも小池百合子都知事がバンクシー作品と思われるネズミアートと記念撮影をしたり、横浜や大阪で『バンクシー展 天才か反逆者か』が開催されたりなどバンクシー人気は高い(横浜会場は2020年3月15日~9月27日、大阪会場は2020年10月9日~2021年1月17日まで)。

バンクシー展より、本人をイメージした展示物。バンクシーは常にパーカーのフードをかぶっており、投稿動画でもシルエットだけ分かる。

グラフィティアートで巡る、イギリスの旅

バンクシーのみならず、イギリス、特にロンドンは世界的に見てもグラフィティアートが盛んな場所。建物の所有者が落書きではなくアートとしてあえて残したり、公共の場所で合法的にグラフィティアートが許可されたりしている場所もある。

 

そのクオリティは非常に高く、観光客がアートを前に写真撮影する光景も珍しくない。写真はロンドン東部の街、ブリックレーン(Brick Lane)の巨大グラフィティアート。移民の町としても知られるブリックレーンは、いつしか労働者、学生、アーティストなどが集まるようになり、カルチャーの発信地として注目されるようになった。そのひとつが街の至るところに描かれたグラフィティアートで、有名になる前のバンクシーの作品が残っているほど、街全体がアートに対して寛容的だ。

Crane on Hanbury Street, Brick Lane London

建物の側面に大きく描かれたこのグラフィティアート。右のサギはベルギー出身のアーティスト、ROAによるもの。ROAは動物を専門に描くことで有名で、ヨーロッパやアメリカでも彼の作品を見ることができる。

 

そのすぐ左に並び描かれているのは、アルゼンチン出身のMartin Ronによるブレイクダンスを踊る衛兵「HAPPY HOUR」。両作品ともブリックレーンを代表するグラフィティアートとして人気を集めている。

 

ROA unofficial fan page on Facebook : https://www.facebook.com/ROAStreetArt

Ron Muralist | Official Site : https://ronmuralist.com.ar/

古きよき街並みにグラフィティアートがよく馴染む

古いものを大事にするイギリス人にとって、中世の時代から続く建物はざらにある。日本では歴史的建造物として保管されそうなものが、イギリスでは普通に人が住んでいるというのもよくある話。B&B(民泊)やパブとしても利用されている。

 

驚くことに、古くから残る建物にグラフィティアートが描かれていることもしばしば。日本人にとっては考えつかないことでも、イギリス人にとっては当たり前のことで、レンガ造りの建物もペンキやスプレーで描かれたアートもすべて含めて街の景観となっているのだから、懐の深さを感じる(もちろん、アート性がないものはイギリス人でも怒る。家のガレージにスプレーでFXXKなど書かれると即通報するレベル)。

 

ロンドンをはじめ、至るところで見られるイギリスのグラフィティアートカルチャー。名もなきアーティストの作品を見るうちに、「もしかしたら未来のバンクシー?」「あれ? これってバンクシーじゃない?」と、空想を膨らますのも一興だ。ありきたりのイギリス旅では満足できない人はぜひ試してみてほしい。

ロンドンのマイル・エンド地区にて撮影(Mile End)。長いトンネルの端から端まで、グラフィティアートで埋め尽くされている。
ブライトン(Brighton)の一角にて。バイオリンを弾く男の足元にはバンクシーの象徴でもあるネズミが…と、思いきや、バンクシーとは異なるサインとアナーキーマークが。
キャンプ発祥の地イギリスにみる、「マイペース」が大事な英国式アウトドアスタイル

キャンプ発祥の地イギリスにみる、「マイペース」が大事な英国式アウトドアスタイル

野営が「キャンプ」と呼ばれるようになったのは19世紀頃のこと。イギリスで産業革命が起こり、機械生産によって工業が発展すると、人々は余暇時間を楽しむことができるようになった。その結果、休日になると人々は街から郊外へと移動し、自然のなかで過ごすピクニックが流行。サイクリングやカヌーなどのアウトドアアクティビティも定着し、テントを張る人たちも出始めるようになる。それまでは軍事行動や生活手段のひとつでもあった野営が、英国人たちによってレジャーのキャンプへと変化させていった。 また、青少年の野外活動を行なうボーイスカウトもイギリス生まれ。ボーイスカウトの起源は、イングランドの軍人にして作家、ロバート・ベーデン=パウエルが1907年にイギリスの小島、ブラウンシー島で実験的なキャンプを行なったのが始まりとされる。翌年にはロンドンにボーイスカウト英国本部を設置。1910年にはパウエル卿の妹、アグネス・ベーデン=パウエルが、ガールスカウトを設立した。なお、余談だが、パウエル卿は日本の武士道を賞賛し、乃木希典陸軍大将とも交流があったという。   昨今人気のアウトドアウェア、ギアの多くがアメリカのブランドだけに、「キャンプの本場はアメリカでしょ?」と思っている人が多い。たしかに“本場”と言えばアメリカかもしれない。広大なスペースに大型のキャンプングカーで乗り付けて何日も過ごす。はたまた、大きな庭で親戚や友人を招いてBBQ、いかにもアメリカらしい。   でもキャンプ発祥の地、英国人たちもアメリカ人に負けず劣らずアウトドア好き。本場ほどスケールは大きくないが、手入れが行き届いたイングリッシュガーデンでピクニックしたり、紅茶とサンドイッチをもって公園に行ったりと、日常のなかにアウトドアが根付いている。   国土の大きさが日本の2/3ほどのイギリスでは、大きなキャンピングカーやトレーラーを使うのではなく、どちらかと言えば日本的なキャンプスタイルが主流。街乗りの乗用車にキャンプ道具を積めて、郊外のキャンプ場へと向かう。キャンプ場は予約制なことが多いのも日本と同じ。高規格とされるキャンプ場には売店を兼ねた受付があり、トイレやシャワー、ランドリーなども備える。ユニークなのはキャンプ場の近くにパブがあったり、フィッシュアンドチップスの販売が場内で行なわれていたりすること。キャンプ場で過ごしていても、やっぱりパブでビールが飲みたい英国人たちは、テントを離れていそいそとパブに向かう。 イギリス南部のWest Sussex州にあるキャンプ場「Blacklands Farm Caravan and Camping」。広大な敷地にフリーサイトあり、電源サイトあり、トレーラースペースありと充実。 キャンプ場でもフィッシュアンドチップス。青空の下、ビール片手に食べるフィッシュアンドチップスは最高。イギリス滞在中の楽しみはビール、パブ、フィッシュアンドチップスに尽きる。それはキャンプ場でも変わらない。 タープよりもツールーム、トンネルテントが主流 日本のキャンプシーンではテントにオープンタープの組み合わせが主流。タープがあれば雨の日でも濡れずに過ごすことができ、テントよりも開放感がある。難燃性のタープなら、雨が降っていても幕の下で焚き火ができるのだから快適そのものだ。   一方のイギリス的キャンプスタイルは大型のテントをどんと立てて、そのまわりにチェアを並べるのが一般的。あくまでも居住スペースの主役はテントで、オープンタープを見ることはほぼなかった。英国人は多少の雨なら傘を差さずにフードだけで乗り切る。もしくは小走りで移動し、傘を使うのは稀なのだから、もしかしたらタープを使わないのは傘を使わないから? とも思ってしまう。 イギリスのキャンプ場で見る一般的なサイト。乗用車にテント、チェアのシンプルなスタイルだ。英国人に言わせると「日本人のキャンプはクレイジー。まるで引っ越しだ」とも。 そんなイギリス式キャンプだが、隣のテントサイトとの間に「陣幕」のような敷居(目隠し)を設営する人がとても多い。日本でも少しずつ増えてきた陣幕スタイルだが、イギリスではキャンプ場の受付に簡易的なものが販売されているほどポピュラーな存在。レジャーシート3枚の組み合わせでできた陣幕が、ひとつ2000円ほどで販売されている。人々はこの陣幕を買って、自分や仲間たちとのサイトの囲いを作る。 ところどころに見える陣幕のスペース。この中でBBQをしたり、フットボールしたり、ビール飲んで芝生の上でゴロゴロしたりする。 また、大型テントも日本では見たことがないモデルが多く、多くのキャンパーが空気でたてるエアー式テントを使っていたのも印象的。テントを広げ、ポールの代わりに空気入れでポンピングして設営するこのスタイルは、たてるのは非常に簡単だが片付けるのはなかなか大変なもの…。撤収時に空気が抜けきらず、多くのキャンパーがスタッフバッグに収納するのもそこそこに(チャックが閉まらない)、クルマのラゲッジルームに押し込んでいた。   ただ、大型テントは居住性バツグンなのは確か。雨が降ったらテント内のリビングスペースで過ごせばいいというのもうなずける。 テントを広げたら家族みんなでポンピング。日本ではそこまで普及していないが、イギリスでは多くのキャンパーがエアー式テントを利用していた。 イギリス式、無理しないキャンプごはん 「日本人のキャンプはあれこれしなくてはいけなくてとても忙しい」とは、日本でのキャンプ経験がある英国人のコメント。確かに日本だと、キャンプ場に到着したらテントやタープを設営して、お昼ごはんも作って食べて、気づいたらもう夕方で晩ごはんの支度と大わらわ。何かにつけて動いていることが多いのは、きっとあれもこれも完璧にしたいせいだと思う。   イギリスでのキャンプは、テントを立てて、チェアを並べたら本を読んだりおしゃべりしたり、ビール片手に芝生でゴロゴロ(ここでも!)したりする。いかにもピクニックの延長のようなリラックスムードで、決して無理はしない。お腹が空いたら持参したサンドイッチを食べて、夕方になったらいよいよBBQ。それでも食材をふんだんに使ったり、スキレットやダッチオーブンで手の込んだアウトドア料理をしたりでもなく、サクっと食べてあとはビール飲む。日本人でも一度このスタイルを体験すると「無理しなくていいんだなー」と、アウトドアでの簡単なごはん(弁当やインスタント)でも気にしなくなるから非常に楽だ。 BBQグリルは小型のファイヤーピットを利用。炭はガソリンスタンドで購入した成型炭で、火のつきがよく、簡単に使える。 パンはツーバーナー(LPガス式)で焼く。トーストしながらお湯も沸かせて、フライパンで他の料理もできる一石三鳥のアウトドアギアだ。 持参した食材をパンで挟んでサンドイッチに。これにBBQで焼いた肉を一緒に食べる。数日このメニューが続くと飽きるので、その場合はフィッシュアンドチップスにゴーだ。 イギリスの伝統的豆料理、ベイクドビーンズも忘れてはいけない。日本人がキャンプ場で白米を食べたりお味噌汁を飲んだり、はたまた蕎麦やラーメンを食べるのと同じ感覚でベイクドビーンズを食べる。スクランブルエッグと混ぜると美味しい。マーマイトを付けたトーストともよく合う。 英国人にとってキャンプは自然のなかで過ごす癒しの時間。過度な快適さを求めるでもなく、便利さを追求したり見た目を気にしたりもない。「のんびりマイペース」な過ごし方が、文化的にも根付いているのだろう。自然に飽きたらパブに行ってビール飲んで、フットボールの話に花を咲かせて再びテントに戻る。ビールだけはキャンプ場でもパブでも飽きずに飲み続けられるのだから不思議だ。